ろじゃあさんのところでも紹介されていた「NBL」という企業法務関係の雑誌の新年号にコロンビア大学ロースクールJohn C. Coffee, Jr.教授の「何が問題だったのか-2008年金融危機に関する検証」という論文が掲載されています。
今回の金融危機に関して制度的な問題点を中心に分析しています。具体的には以下の点を指摘しています。
1.SECによるデュー・デリジェンスの水準の緩和の影響
SECは、資産担保型の証券化に関する開示およびデュー・デリジェンスの水準を緩和したこと、特に2005年規則AB(資産担保証券の発行について規定するもの)を採用したことで、引受証券会社はデュー・デリジェンス努力を怠るようになった。
2.格付機関が「ゲートキーパー」(=本来投資家が行うことのできない検証・認証サービスを提供する専門家)として機能しなくなったこと
ストラクチャード・ファイナンスは格付機関の事業の40%以上を占めたわけであるが、この40%は、おそらく、4,5社以下の投資銀行が牛耳っていた。したがって、結果としては、顧客が自身のゲートキーパーに対する支配権を取得し、格付けを過剰に吊り上げるために、これを巧みに利用できるようになったのである。
3.SECのCSEプログラムが大手投資銀行のレバレッジの規制の機能を果たさなかったこと
(大手投資銀行はSECが2004年に大規模投資銀行向けにのみ設定した連結監査プログラム(CSEプログラム)に参加したことで負債対資本レバレッジ率を大幅に増大させることになった。このプログラムの導入はもともとEUの2002年に金融コングロマリット規制の例外規定の適用を投資銀行も受けることができるように導入された。しかしこの制度はバーゼルⅡをベースにしたもので、個別の金融機関にリスク予測の計算モデルを作らせそれを当局が監督と監視をすることを前提としていた。ところが・・・)
SECが・・・各投資銀行に独自のリスクモデルの作成をゆだねる形で規制プロセスが開始された時点で、SECが主要な投資銀行によるレバレッジを制限する権限も能力も欠いていたというのは紛れもない事実である。株式市場の圧力や短期型の経営者報酬制度に押されて、こうした機関における上級経営者たちは、CSEプログラムの規制プロセスを、自主規制へと上手く転換していったのである。
日本の新聞や雑誌記事などではあまり触れられていない切り口だと思いますので、機会があればご一読をお勧めします。
ところで、「能力を欠いていた」という意味では格付機関も上のように経済的圧力だけでなくいろんなものが証券化商品になる中で、よくわからないものも格付けせざるを得なくなり、「できません」ともいえないので適当に理屈をつけてみると、その事例がスタンダードになって・・・という連鎖があったように思います。
10年以上前、外人投資家が日本の不良債権や不動産に投資し始めたとき、その投資(や投資ビークルへのローン)の証券化のために格付会社にインタビューされたことがありました。
最初は面倒くさかったのですが、彼らもレポートを書くためのストーリーやチェックポイントがあるのでそれに沿うように回答してあげればいいんだ、と途中でコツをつかんでからはそんな負担でもなかった記憶があります。何しろこっちのほうが圧倒的に対象資産についてはわかっているわけですし、向こうは最初の頃は日本くんだりの不動産市況とか「行きの飛行機で勉強しました」程度の知識しかなかったので(声をかけられなければ一生縁がないような話ですからね。)。
結局「しなければならない」という動機付けでする仕事は(「うまくいかなければ降りてもいい」という気構えでする仕事と違って)リスクを軽視しがちになるのでしょう。
本書で触れられている金融機関の経営者や幹部社員のインセンティブ報酬やヘッジファンドの報酬体系などはいい例ですね。