一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

岩手県普代村

2011-08-07 | 東日本大震災
先週東日本大震災の被災地をぐるっと巡ってきました。

被災地は南北に相当範囲が広いうえに、まだ現地の宿泊施設が整っていないので、内陸部に泊まりながらレンタカー移動でした。

現地に行った友人・知人の話を聞いたり道路の通行制限状況を調べたりその他情報収集をするなどで準備にけっこう時間をかけると、だんだん見に行く範囲が広がってしまって、結局上のまとめエントリにあるような盛りだくさんなものになりました。

それだけ、道路については沿岸部で片側交互通行や迂回路、架設の橋はあるものの、機能的にはほぼ復旧しているといえます。


会社から夕方怪しげな旅装束で出てそのまま新幹線に乗り盛岡に入り、翌朝レンタカーを借りて出発。

八戸道経由で久慈に出て、そこから海岸線を南下しました。

久慈市内は港周辺に被害が集中していますが、市街地は日常生活を取り戻している感じでした。

国道を下っていくと、海に近い開けたところに出ると、いきなり津波の跡の瓦礫の山や枯れた松林などが眼に入り驚きますが、これが数百キロにわたり続くことになります。

最初の目的地は
普代村。(Googleマップ参照)

港湾土木の友人によれば、ここの水門は津波に2m超されたものの機能を維持し、中心部の浸水を防いだそうです。

村の中心部から海方面にしばらく下っていくと水門が見えます。





かなり立派なものですが、同様の構築物が破壊されている状況もこれから何度も見ることになります。

水門の上から山(集落)側



水門の内側の通路のようなものは壊れていますが、上流の林が枯れていないので、津波の遡上もそれほど大規模ではなかったようです。集落はかなり上流にあり、津波被害は見られなかったので普代村のハザードマップで想定されたほどの被害はなかったようです。


海側



海側は(何かあったとしても)全て流されています。

水門の脇を見ると、水門より高いところまで津波が来たことがわかります。
(関係者には有名なのか、視察に来ていた人が端っこに写っています。)





このように津波を防ぐことのできた施設もあったということはちゃんと評価したほうがいいと思います。
やはり堤防などの高さの絶対値が大事なのか、設置場所や形状で影響が変わってくるのか、工法の工夫で改善の余地があるのか、費用対効果はどうなのか、というあたりについて今後検証と研究がなされるのでしょう。

建築の先生が言っていたのですが、建物も同様で、今回の震災で耐震基準を満たしている建物が地震の揺れによって倒壊したものは(おそらく)なかったということも、けっこう大事なポイントだと思います。


とはいいながら、この後、いろいろなところで津波の力の大きさに圧倒されることになるのですが・・・



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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