くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

よさこい旅8月♪新居浜市

2015-08-08 | 旅行
8月のよさこい旅は 愛媛県新居浜市の 別子銅山を見学する
旅となり お隣の県ですが 初めていく場所です。

東洋のマチュピチュと形容される鉱山跡を 地元のガイド氏と
たどる一日で 前から楽しみにしていました。

マイントピア別子からの山道は 大型観光バスは入らないため
マイクロバス マチュピチュ号に乗り換えます。


マチュピチュ号は うねうねと 30分山道を登り 東平(とうなる)地区に
着きました。東平は標高750mにあり まだアジサイが咲いていました。

天空の産業遺産 鉱石貯蔵庫を見学のため 220段の階段を下ります
見学後は 当然ですが また登らねばなりません。


これがかつての 栄華を極めた時代の貯蔵庫跡で どっしりと立派です。
 
 


かつてこの 深い山の中に 最盛期には 5千人の人が住んでおり
社宅や学校 病院 映画館など 街と変わらぬ暮らしがありました。
 


山の中の学校は 広い運動場がないため 別子の子どもは 野球などは
不得意でしたが 室内競技の 剣道や柔道 卓球は 県下でも№1でした。

別子銅山が発見されて 採掘を始めたのが江戸時代 以来総ての鉱山が
廃鉱になる昭和48年までに 別子で採掘される良質の銅は 持ち主である
住友家を 日本の大財閥に育てる 礎となりました (いずれもガイド氏談)

マチュピチュ号にて 東平から元の場所に戻り 観光坑道へと鉱山鉄道に
乗りました。  鉄道沿線は カノコユリが満開で 匂い渡っていました。
 


観光坑道は全長333m 坑道を入ると 気温は18.5° ひんやりとします。
 


江戸時代は 総てが 人力での作業でした。
 
 


これは 明治に入ってからの写真でしょうか 鉱石を運ぶ鉄道も付き
昭和48年の閉山まで 使われたでしょう 掘削機の展示もありました。
 


明治時代に建てられ 昭和45年まで活躍した 水力発電所。


新居浜市の こども神輿が有名らしくて 伊予かんソフトも人気があります。
 




今回は 華やかなものも見ず ごちそうも出ずの旅でしたが 東洋のマチュピチュ
別子銅山は 心に残る旅になりました。

石見銀山みたいに 世界遺産にならんかなと思いつつ 帰りのバスに乗りました。

   
コメント (4)
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