2023年も今日で3日目です。今年もよろしくお願いします。
お正月はどこへも行かず 箱根駅伝の応援がここ数年の楽しみに
なっています。往路・復路ともに 最初からずっと観ました。
優勝候補の青学が復路の途中で ひょっとシード落ちするかもしれん
の大波乱がありましたが その後持ち直し3位に入ったのはさすがです。
駒大の2年ぶりの総合優勝は 選手10人のうち 区間賞が1人しかいなく
不思議な気もしますが 全員が安定した強さを見せました。
選手の後ろ マイクを持った大八木監督が 前の選手に絶えず叱咤激励
を飛ばします。選手はたまらんろうね。
それにしても 監督は少なくとも5時間は車に乗りっぱなしで 何日も前
から水分調節しているのかね とは私の素朴な疑問です。
来年の箱根駅伝は第100回目になり 従来のように関東の大学だけで
なく 全国の大学から出場が可能と聞きました 楽しみですね。
元旦の3日前に 母親を荼毘に付すことになろうとは 思ってもみない
ことが起き ばたばたと年が明けました。
喪中も喪中 そんな中でお正月をしていいものか不明ですが 注文した
寿し皿鉢をキャンセルできません。
元気なころの母が作ったおせちを思い出しつつ 簡単なレシピから
いくつか作ってみました。
「お客様にご馳走するときは 余るほどの量がないといかん。皿鉢には
たっぷり盛りなさい。少なかったら お客様同士が遠慮して食べんからね」
『あり余る量』 が母ちゃんの遺言になりました。はい しっかり守ります。
特養へ入って丸2年で母は逝きました。2年前の入居したときはまだ
少しは歩けていましたが すぐに寝たきりとなり たびたび誤嚥性肺炎を
起こしたためプリン食になり それも口へ運んでもらって食べるという
食べることが大好きな母の ここ数ヵ月は味気ない食事でした。
母はグループホームに13年 特養に2年お世話になりましたが
どちらの施設でも 職員の皆さまに良くしていただき
娘としてはとても感謝しています。
杏子さんのお母様は97才でしたか 長生きされました。戦火をくぐった女性は
少々事には動じぬ強さを持っていましたね。言われるように食糧難時代を
乗り越えてきた人は 食べ物を決して無駄にしません。そして人様には
あり余る量をご馳走しました。戦時中を生きた人がどんどん少なくなり
寂しくなりました。私も残りの人生を悔いなく過ごしたいです。
お母様のご逝去、心より御冥福をお祈りいたします。
暮れに訃報を知りました。95歳との長寿、静かな旅たちたちでしたね。
我が母、97才で逝きましたがやはり同じ肺炎でした。施設にいましたが、認知症はわずかにで普通食は止められていましたが、見舞いに行くと
好きなお餅を食べたいと赤子のように甘えていました。
くりまんじゅうさんのお母様も戦時中の食糧難時代を乗り越えてこられて、今我が子がつくるたくさんのおいしい料理に、きっと満足されていると思います。
すっかり遅くなりましたが
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
エリコさん記事から ご両親のお世話をされていますね。
ご両親が80代なら まだまだお若いです。
お節は重箱に入れて が普通ですが土佐は皿鉢文化のためか重箱に入れるより
皿鉢に盛るやり方が多いです。その家の主婦もいっしょに飲み食いできる皿鉢料理は
昔から 喜びごともお悔やみごとも皿鉢で通してきましたが
今の若者は皿鉢料理から離れつつあります。
これにお雑煮も出しましたのでたくさん残りましたが お寿司もお節もタッパーに入れ
若者が持って帰りました。これで晩ご飯は作らなくて済むと喜んでいました。
エリコさんも息子さんのお仕事から 土佐にご縁ができました。
あり余る量など 土佐らしい文化も感じてもらえたら嬉しいです。
年末に訃報を知ってお忙しいことと思っていました。
立派な皿鉢料理を作り上げている娘のことを、お母様はきっと自慢に思って見てくださっていると思います。
くりまんじゅうさんの皿鉢料理を昨年にブログで拝見し、私も今年は真似っこしてみたかったのですが(私も結婚以来重箱は所持していません)、綺麗に大盛に盛り付けるのは難しいですね(^_^;)
そもそも馴染みのなかったものなので仕方ありませんが…。
大皿に盛り付けたあとの保管は冷蔵庫でしょうか?
私もお母様のように、“料理はたっぷりと用意!”に賛成です。
お呼ばれされたとき、人数から見て少ない料理を出される家が多く、箸をつけられない時があります苦笑
そんな変な心配をされずに、お腹いっぱいに食べて頂きたいです(o^-^o)
しっかりしておられ 年齢よりはるかにお若いです。
80代・90代になると 実年齢より頭や体の機能で年齢が決まると思います。
友のお母様が101才ですが 今も自分の足で歩き 自分の食事は自分で作って
生活しており 近くに住む娘が毎日覗きに行っているようです。
そうかと思えば60代前半で認知症になり グループホームへ入居する人もいます。
まりぃさんのお母様は 実年齢より心身ともに10歳以上お若いです。
今朝お世話になった葬儀社へ行ってきました。夏冬は老人のお葬式が多いそうで
死ぬなら春か秋にしてやったら 葬儀場も火葬場も空きがあるとのことですアハハ。
そう言う葬儀社の担当は 今日は友引ですので私たちもゆっくりできます
と言っていました。
まりぃさんのお母様は お正月には家へ帰れたのですね いっしょにお正月が
できて良かったです。母の施設は9ヵ月前から面会禁止でどの家族様も
入居者に会えていません。今また感染者数が爆上がりで 県内どの老人施設も
面会禁止になっていると思います。
お葬式がばたばたと終わったら つぎにはすぐ五十日法要が来ます。
仏式の四十九日法要が 神式では五十日になるそうです。
父のときに一通りやっているはずですが その時は母がしましたので
何もわからず 神官さんの言われる通りに五十日も一年祭もやることになります。
こうやって自分達も 近い将来見送られるんだなぁとしみじみします。
母は誤嚥性肺炎で亡くなりましたが 今までたびたび起きていたことで
今回は助かりませんでした。それでも年齢からは十分生きて天寿全うしました。
まりぃさん 施設側が会わしてくれるなら お母様がしっかり話ができるうちに
何度も会いに行って たくさん話をしてください。
それがお母様への一番の親孝行になりますから。
泊り客がいると 出す食事はもちろんのこと掃除や寝具まで その家の主婦は
何から何まで気を使いますね。それらをこなしておられることを尊敬します。
おかずを作っても母は毎度 質より量が大切な典型的な農家の主婦でした。
そんなところだけ 出来の悪い娘は受け継ぎました。
もう自分自身もいつ介護を受けるようになるか、、ということ、
同い年のくりさんとワタクシは、
同じ境地でいる、、と、勝手に思っていました。
お母様のご逝去、お悔やみ申し上げます。
少し前のお写真では
まだまだ何年かは、健やかにお過ごしになるように拝察していました。
私にも、いつかは、、それも近い将来、、必ず「来る」ことですが、
そして、いつでも覚悟はできているつもりですが、
やはり長生きしてくれた母親が、心の支えにもなっていることにも
気付かされています。
さぞかし、お寂しくなられたことでしょう。
また、お正月というのは、それでなくとも
母との思い出がたくさんあり、何かにつけて思い出します。
うちの母は、お正月、ホームから里帰りでした。
世話をしに横浜の実家へ1週間行ってきましたが、やはり
年ごとに、以前とは違う様子が見えてきます。
日頃は、仕事とは言え、他人様の職員の方達が
本当に良くしてくださる様子で、頭が下がります。
ともあれ、くりさん、
お母様のお世話、本当にお疲れ様でした。
少しゆっくりなさって、またコロナが去ったら、
東京の方まで出ていらしてください。
その時はお会いしましょう!
『あり余る量』
お母様の遺言が果たせましたね。
私もお泊り客の時は余るほど作ります。
でもそれは、嫁ぎ先の人たちだけで、私の兄妹の時には超簡単ですが(お泊りはしませんし)。
くりまんじゅうさん、お疲れのことと思います。
お身体気をつけられてくださいね。
多くの老人の死因のひとつである 誤嚥性肺炎が起き母が亡くなったと施設から
連絡があり 苦悩の表情だったらつらいと思いつつ9ヵ月ぶりに対面した母の顔は
穏やかで少し微笑んでいるような表情をしており 嬉しかったです。
何度もblogにグチを綴り 多くの人に支えられました。皆さまに感謝します。
自分に残された大きな仕事のひとつが 母を見送ることでしたので
無事に大仕事が果たせて 今はホッと肩の荷がおりたところです。
おせちもどきを作り皿鉢に盛ったら一見ご馳走に見え 得した気分です。
おせちは 砂糖・醤油・酒・みりんが要るものだと
今回よく分かりました。
母は95才まで生かしてもらい 最後は自分で食事も排泄も何一つ
できない体になり 多くの人のお世話になって天に昇った有難い最晩年でした。
暮れも押し詰まったお葬式は 火葬場の関係で年内か年越しかに分かれます。
流れ作業のように進む一連の見送りは じっくり悲しむ暇もなかったです。
どんなにお辛かったことでしょう
お別れの日が来る覚悟が出来ていても
その日は突然訪れ深い悲しみに襲われますよね
くりまんじゅうさんご家族のお心が少しでも癒やされることをお祈りすることです
ブログに載せてくださってきたお母様の写真はそのページを開かなくとも目の前に広がります。
穏やかな表情をされたお母様の魂の輝きを感じることです。
さて達者な筆運びにさすがなぁと感じています
職人さんの皿鉢に引けを取らないくりまんじゅうさんのお手並
参ります お見事です💕
寒さも厳しいです ご自愛下さいませ
今年も宜しくお願い致します
一番慌ただしい時に最愛の人を失った悲しみは察してあまりあることです
そういえば、私も祖母を12月30日に亡くしています
もう40年ほど前の事ですが・・・
皿鉢料理美しく仕上がりましたね
くりまんじゅうさんのお料理はいつも行き届いています
お母様の良い供養になりましたね
お葬式が済んですぐにお正月で 三が日が終わったら特養へ行って手続き
市役所へ行っての手続き・銀行への手続きなど人一人がいなくなると
雑々した用事があります。母は貧しい中でも人様にご馳走するのが好きで
質より量をたっぷりと の考えでした。遺言はしっかり娘が受け継ぎました。
毎年お寿司屋さんに 握りの皿鉢を11月中に注文しますので訃報があっても
断れません。あとは適当に私が おせちもどきを作って皿鉢に盛りました。
うちは重箱がないので皿鉢に盛ることになり 普段食べるおかずでも
こうやって盛ったら なんかご馳走に見えるんですよね という狙いです。
そうなんです ようさんのお母様の訃報を聞いて あら~快方に向かって
いたはずなのにと 頭も体もしっかりしておられたお母様のことを思いました。
すぐにうちも 続いて旅立つことになり驚きました。いつかはこの日がくるはず
と思っていましたがあたふたして 葬儀社の指示してくれるままに見送りました。
そちらは雪のお正月でしょうか。こちらも朝晩冷えますが日中は12℃ほどの
気温になります。ぐりさんの地もそうですか 人様に食事を差し上げる時
ちょうどの量を出すもんじゃない 余ってもいいからどっさり出しなさい
と田舎ほどその傾向が強いです。でもそんな風習も私の代くらいで終りかな?
母が作っていたおせちを思い出し 黒豆・昆布巻き・酢ゴボウ・えびうま煮
栗きんとん・だて巻きを作りました。黒豆はレシピ通り作ったはずなのに
しわが寄り固くなって失敗です。来年に向けて練習しておきます。
今年も料理のアイディアや盛り付けなど 参考にさせてもらいます。
詳しくは知りませんが おめでとうと私からは言えないみたいですが
おめでとうと もらうのはいいみたいです。母は天寿をまっとうして
25年前ひと足早く天に昇った父のもとへ行きました。父が喜んでいると
思います。これで4人の親が 全員むこうへ行きました。
良かったです。箱根駅伝の各校の監督は 選手の後ろに張り付いた車中から
がおがおゲキを飛ばしますね。しゃべりっぱなしの駒大大八木監督64才は
お年からして 5時間以上ガマンはとてもムリだと思います。
そうでしたか 尿取りパットや紙おむつでしたか 納得です。
12/29の朝8:30~出棺が9:30という 火葬場の都合でこんな時間の
お葬式になりました。学校も冬休みに入っており孫たちも出席できました。
身近な者ばかりの見送りになりましたが 気を使う人もなく ごく内輪の
いいお葬式になったと思います。
グチを聞いてもらっていました。GHへ入居したあとも お正月には迎えに行き
家で食事して いっしょに箱根駅伝を観るのが恒例でしたので昨日・今日と
箱根駅伝を観つつ 母ちゃんと一緒に観たね と夫と話していました。
普通のおかずも 皿鉢に盛ったらご馳走に見えるんですよ。
母は95才という十分な歳を生きて 天寿まっとうさせてもらいました。
昭和2年生まれの卯年でしたので あと5日で年女になれるところでした。
西宮神社の森木君の看板を見せていただき ありがとうございます。
せっかくドラフト1位で取ってもらいましたので 一日も早く
阪神のエースになれるよう 県民が願っています。
他の親戚には知らせてないです。のちのち親戚から怒られると思いますが
全て私が悪者になる覚悟です。感染者が増えてきて火葬場も1家族10名まで
と決められており控室ももらえず ロビーの喫茶室で多くの家族がお骨の
あがるのを待っている状態でした。コロナからこっち色々変わりました。
順番とはいえ、心にポッカリ穴が開いた気持ち、ご推察します。
くれぐれも御身大切に、お母様の分まで元気にお過ごしください。
『あり余る量』 が母ちゃんの遺言≪土佐の”はちきん”らしい、お言葉。ご家族が お皿一杯の料理を楽しんで食べている姿をきっと天国から眺めて お喜びなさっていると思います。合掌。
遅ればせながら心よりお悔やみ申し上げます。
お母様はくりまんじゅうさんご家族に大切にされてお幸せだったと思います。
注文して置いたご馳走は仕方無いですよね。
それにしてもお宅は大変なご馳走です
確かにお客様をお迎えするときは多めに用意しますが・・・
私たちは今年は2人だけでしたので、食べ過ぎない様に少なめに作りました。
お陰でご馳走を頂いている割に体重も増えなくて良かったです
ようちゃんのお母様に続きくりまんじゅうさんのお母様も
大変な年末でしたね。
何時かは誰しもが経験する事ではありますが
寂しさが日増しに募りますね。
お母様の教え
見事な皿鉢料理を天から眺め 「頑張ったね」
お褒めの言葉が聞こえそうです
寂しさもこれから
ご自身も労わりつつ
今年もよろしくお願いいたします
箱根駅伝私も観ていました
お疲れでもございましょう
こちらでも足らないのはいけない余るほどといいます
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ばたばたと慌ただしく過ぎたお正月になったかと思います。
これからは毎年年末お正月になるとお母様を思いされることでしょう。
お母様の言われたようにたくさんのお料理を作ることで繋がっていくんでしょうね。
毎年豪華な皿鉢料理を見せていただけるのを楽しみにしています。
今年もよろしくお願いします。
ようさん記事からお母様の訃報を知り たいへんやねと思った翌々日に
うちの番になりました。kebaさんもご両親が続きましたね。
そしてご主人のほうも ご両親が続いて神様になられました。
訃報って昔から 不思議と続くものです。呼ばれるのかな?
お悔やみ申しあげます。
『明けましておめでとうございます』と言う、言い方をしていいか迷いますが、
ともかく今年は、くりまんじゅう様にとって、良い年になりますように。✨✨💐
御多幸を、お祈りします。
おせち料理は豪華ですね。
お疲れさまでした。
今年も宜しくお願い致します。
恒例の箱根駅伝も終わりましたね。
往路・復路ともに、最初からずっと観たのですか。熱心ですね。
>それにしても 監督は少なくとも5時間は車に乗りっぱなしで 何日も前から水分調節しているのかね とは私の素朴な疑問です。
この件ですが、私は、以前、実況放送者などは、尿取りパットとか紙オムツをしていると聞いたことがあります。
寒い中で長時間にわたってトイレを我慢するのは難しいですものね(^_^)
ありがとうございました
お母様のお心遣い
ご馳走をするときは
お客様が安心して箸を出せれるような心遣いが大切ですものネ
有難うございます
何より何より ナムナム🙏🙇
クリンたち、長い間くりまんじゅうさまのお母さまのお話をきいて知っていたので、しんせきが天国に行ってしまったかのようなショックを受けています。。
寿し皿鉢のごうかさが、かえってさびしいですね、、⤵️
くりまんじゅうさま、くれぐれもお身体には気をつけてくださいね🍀🍀🍀🍀🍀
クリンより🐻
年末に大変でしたね。
お悔やみ申し上げます。
昨日、西宮神社に初詣に行ったら、今年のポスターは森木君でした。
写真載せよう思ったのですが、くりまんじゅうさまが見られないなら意味ないと思い載せませんでした。今から載せますわ。
今年も宜しくお願い致します。
長い間の看病もお疲れ様でした。色々忙しい事もあるでしょうけど身体に気をつけて下さいね。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m
あたしも、父の喜寿のお祝いを企画して
準備万端整えて最寄空港に到着して母が亡くなったと知らされ
持参していたシャンパンを献杯したのを思い出しました。
本当に、思いもよらないことって起こりますね。
でも、お母様はくりまんじゅうさまにお正月に大皿でお食事してもらえて喜んでおられると思います。
よかったですね。
これからしばらくお忙しいと思います。
どうぞ最後のお勤めを、健康に気をつけて果たしてくださいませ。
今年もくりまんじゅう節楽しみにしてます。