くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

松岡の大天。

2013-08-21 | 食物関係

プールから帰りすぐに 今度は自転車にとび乗り
はりまや橋の歯医者さんへ行きました。

人さまより優れたところは 何んにも持ち合わせておらん
のですが ただ同年代と比べると 歯だけは良かったのです。

ところがどうも最近 いけません。
医者ぎらい 特に歯医者は苦手で 不具合があってもすぐに
行かないため どんどん悪くなるのです。

治療が終り 久しぶりに大橋通りへ行ってみました。
松岡の大天を買うためです。

大サイズの天ぷらだから 大天 は角天の真ん中に薄く切った
ゴボウが乗っており 昔から好きで行けば必ず買いました。

ローカルTVのCMで流れる 松岡かまぼこ店の
「 揚げゆうかね 」  「 揚げゆう 」
の通り 奥ではこれから夕食の買い物客用に じゃんじゃん
揚げております。 

友人にかまぼこ屋さんがおり 郡部の町で 親の代からの
家業としてやっておりましたが 数年前にやめて 惜しまれ
ながら廃業となりました。

その友人が言うには
「 市内で天ぷらを買うときは 松岡にしなさいよ ほかの 
どの店よりも 使こうちゅう エソの量が多いきね 」

とのことで 素人にはどの店のものも 十分おいしかったですが
その道のプロから見れば 違っていたのか と思います。

うれしいことに 大天は本日1枚100円ということで 昼食抜きの
空腹であったため 買いすぎとなりました。

「 お母さん 天ぷら屋を始めるかね? 」
トンボが驚いております。

まあそう言わんと ぬくぬくの大天を食べてみてよ!
ブシュカンをジュッと絞り  これこれ 土佐の味じゃね
と老夫婦は にっこりであります。


   


               

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女の涙。

2013-08-20 | 日記

韓国ドラマ 『 冬のソナタ 』 が日本で大ヒットしたのは
何年前だったのでしょう。

あちこちの局で 毎日のように放送している 韓国ドラマの先駆け
となったこの作品は 現役時代の同僚男性も観ており 皆さま
申し合わせたように チェ・ジゥ にぞっこんでありました。

当時の彼らが言うには
「 チェ・ジゥに泣かれたら どんな理不尽なことでも 男は許す 」
とのことでございます。

そして付け加えて 私の方を見て
「 あんた 男の前で泣いたこたーないろぉ? 」 とほざきます。

「 ヨン様の前では泣いても  フン 相手があんたじゃ無理々々 」
と言わにゃーええことを 言い返す私でありました。

チェ・ジゥのような美しい涙は出ませんが 歳とともに些細な
ことでも 涙が出るようになった気がいたします。

NHK朝の連続テレビ小説 『 純情きらり 』 の再放送を
あまちゃんの前にやっており これを毎朝観ております。

2003年に放送されたもので 主役を演じる 宮崎あおいさん
3姉妹が戦中戦後の激動期を それぞれにたくましく生きていく
物語です。

これが始まると わずか15分の番組中 涙がダラダラで鼻水
ジュンジュンとなります。

いつからこんなに涙が出やすくなったのか これが歳というものか
涙腺が詰まる心配はないね これじゃ‥‥

とトンボを見ると あらら こちらもヨン様とは大違いなものの
うるうると 目をしばたいておりました。

目汁 鼻汁 ティッシュの箱は いつも手元に置いてある
老夫婦の 朝の風景であります。
 
               
                
               

                              

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60年前の弘法大師。

2013-08-19 | 日記

トンボが言うには 小さいころ体が弱くすぐにジンマシンが出たため
近所に住む看護婦さんが 定期的に注射を打ちに来ておりました。

そのうち道具一式を彼女から預かり 父トンボが注射をしたそうで
今では考えられない 違法行為となります。

そのころの歩き遍路は 今と違ってボロボロの着衣で 1人や2人連れで
各家の門口で鈴を鳴らしお経をとなえ 家人はお礼として米1合や味噌を
与えた といいます。

海が近い集落のため 釣ってきた魚を干物にし 自宅用に保存していた
ものを与える家もあったようです。

歩き遍路は男だけでなく 親子のような女2人連れもいたそうです。
彼女たちは目は十分に見え 門口で三味線を弾き 門付芸人のように
米や味噌 ときには数十円もらってお遍路をしていた とトンボは言います。

当時の歩き遍路は 夜はお寺や小学校に泊まり もらった米を 持参している
飯ごうで炊き 翌朝はつぎの集落へ移動していった と言います。

たまに 橋の下などに寝ているお遍路を見かけると 集落の者が自宅に
連れ帰りご飯をふるまい その夜は泊めたそうです。

トンボが小学1-2年のころ トンボの父が野宿しているお遍路さんを連れ
帰り泊らせ そのお遍路はお礼に と言って農作業を手伝い3日ばかり
逗留したそうです。

幼い息子に注射をする父親を見て そのお遍路は
「 赤紫蘇の実を ホウロクで炒って食べさせなさい 」 と言い残し翌朝には
立ち去りました。

農家ですので赤紫蘇の実はたくさんあり 半信半疑で言われた通りにしたところ
あんなに親子で悩んだジンマシンが 不思議なことにピタリと止まったそうです。

家へ泊めた乞食のようなお遍路さんは  あれは弘法大師ではなかったのか!
父トンボは のちのち繰り返し言っていたそうです。

この話を直接 義父から聞いておくべきでした。
今では当時7-8歳のトンボの記憶だけとなった 昭和29-30年ごろの話です。

野宿しながらの歩き遍路 と聞けばすぐに頭に浮かぶのは 松本清張原作
野村芳太郎監督の 『 砂の器 』 です。
親子のお遍路が歩く美しい風景と 重い宿命は忘れることができません。

60年前の歩き遍路 それを温かく見守った集落の人々 今では考えられない
彼らの宿泊を許した小学校の教室 集落の家に泊めても泥棒にあった家もなく
貧しくとも だれもが心豊かな時代でありました。

             
             
             
             
                            

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マー君 おめでとう。

2013-08-18 | スポーツ関係

高校野球は早くも ベスト8が揃います。

高知代表 明徳義塾高は昨日 ベスト8へ進みましたが
愛媛代表 済美高は破れ 残念でたまりません。
安楽投手の剛速球を 決勝戦まで見たかった夫婦です。
 

楽天の田中投手が 神様と呼ばれた稲尾投手を越え 21連勝の
大記録を打ち立てました。

バッティングマシンや飛ぶボールなど バッターに有利な設備や
器具が揃った現代の その中での大記録は 稲尾の時代とは
全然ちがい こちらがはるかに値打ちがある とトンボは言います。

マー君を語るとき 甲子園の決勝戦で戦い敗れた 相手投手の
ハンカチ王子 斎藤投手は外せません。

ハンカチ王子は進学し 神宮でも大活躍 卒業時のドラフト1位
の鳴り物入りで日ハム入り 1年目は活躍したものの 2年目は
故障もあり 今期は苦労しております。

マー君は高3のドラフト時  「 どこでも行きます 」
と答えましたが 1番くじを引いたのは 当時最下位の楽天で
果たして行くのか? と思いましたが にこにこと入団しました。

〇〇でないと入らない  など言う目玉選手が多くを占める中
とても爽やかで この時点で彼が好きになった夫婦です。

マー君 おめでとう
日本球界のエースに成長したあなたを まだまだ見たいけれど
来期はメジャーへ行くでしょうね。

ちょっと残念な おんちゃんと おばちゃんでありますが
メジャーの強打者を きりきり舞いさせるあなたの剛速球を
見たい!  とも思っているのですよ。
 
  

                     

                            

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目にはさやかに見えねども。

2013-08-17 | 日記

いつも通る道に 野牡丹が咲いております。
ビロードのような 深い紫が魅力です。

ただ 開くとそよ風でも花びらが散り これが残念です。
やはり 昨日撮るべきでした。

『 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる 』

よさこいが終り 阿波踊りも終わって 踊り子も観客も日常に
もどり 日中は暑いものの 朝の空気が変わった気がいたします。

風の音に驚く ということはないものの 顔に当たる早朝の
空気が ひんやりと秋めいてきました。

白く輝いて見えていた真夏の光が 心なしか黄色めいて見える
気もいたします。

来週の 土佐神社しなね祭 が過ぎれば 土佐路に秋が来る
と昔からいわれております。

プールのエアロビ授業のとき いつも思うことがあります。

顔にマイクをつけた先生が 音楽に乗って
はい 次は右手から~  と言い自身の左手を上げます。
はい 次は左足からですよ~  と言い自分の右足を上げます。

生徒とは対面授業となり 生徒側に立って指導するわけですが
動きが速くなると 自身の右 左の反対を常に言うことは
大変なこと と凡人は思います。

これはバスガイドさんでも同じことで  右をごらんください
と言いながら ガイドは左手でさし示すことになります。

職業だから といえば確かにそうですが 頭の悪い私には
とてもムリなお仕事 と思えるのです。


              
             

                           

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