くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

十六夜の月。

2014-09-10 | 日記

昨夜は 十五夜より 更に大きく明るい スーパームーンの名前の
十六夜の月が見えました

満月の翌晩は月の出が遅く 月がためらい 躊躇しているさまを いざよう
から いざよいの月と呼ばれるようになったことを この歳になり知りました。


ためらい いざよったわけではないでしょうが 錦織圭選手が 日本人初の
メジャー大会決勝戦で敗れた試合が 昨夜 NHK総合でありました。

ランク 実力ともに圭選手が上でしたが 相手の高速サーブが随所に決まり
チャレンジ失敗など 画面からも イラつく姿を感じました。

最後まで冷静な試合運びが出来なかったと 本人も語り 悔しそうでしたが
メジャー準優勝は あとに続く日本人選手に 大きな希望を与えました。


昨日の高知新聞一面に 月の名所桂浜の十五夜と共に 宮内庁が 昭和天皇
実録を公表したと載っていました。

不快感を抱きながらも 戦争に至る事態悪化を止められず 戦後も 戦争責任を
問われ続けた 君主の苦悩が綴られているとの説明でしたが 研究者は 通説を
覆す記述なし としておりました。

昭和天皇崩御から はや26年が経過し 今生天皇崩御のニュースを読み上げた
当時のNHK記者  橋本大二郎氏はその後 高知県の知事として 4期16年を
務めました。

最近 大二郎氏を久々にTVで見て 再び キャスターに戻ったことを知りました。


昨日の朝刊からもう1つ 手軽に骨ごと魚食べて! の見出しで 地元の
水産会社社長が開発した 袋で “チン” の煮魚人気 の記事は 骨まで
柔らかい煮魚が 県産のショウガを使い あっさり味で人気とのこと。

ホテルや飲食店では すでに使われているそうで 龍馬空港でも販売され
人気があるとのことでした。

現役時代の同僚が 晩ご飯に食べた 煮魚の骨がのどに刺さり 昔からの
教えである ご飯の丸飲み これをお茶碗1杯分したものの 魚の骨は外れず
ついに妻の運転で 救急病院に走ったことを思い出し 思わず クスッです。 

                  
  

                  
                  
                  
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グループホーム家族会。

2014-09-08 | 日記

母の入所しているグループホームは 入所者の家族が集まり 施設へ対しての
意見を述べたり 家族同士が顔合わせする 家族会が年に1度ありますが 昨日は
その家族会の日でした。

家族会には 持ち回りで会長制度があり 昨年の夏から1年間 私の番でしたが
昨日で お役は卒業です。


まず 施設側からは 年間行事や 施設内での 病気や事故の報告があります。

次に 話しにくいだろうから との施設の計らいで 職員が一旦部屋を出て行き
家族だけで 施設への 不満や要望事項が話され 30分経って 再び入ってきた
職員に 会長が 出された意見を報告します。

母が入所して もう5年が過ぎましたが 家族会で 不満が出たことは一度もなく
どの家族からも 施設への 感謝の言葉ばかりで トラブルは皆無です。

施設からは 近い将来 必ず来るといわれる 南海地震について話がありました。

施設は海から離れており 津波が起きても すぐに到達する距離ではないものの
1-2階合わせて 18人の老人を避難させるには なかなかの 時間がかかります。

南海地震の話は 東日本大震災後 その年の家族会でも取り上げられ そのとき
職員から 意見を求められた私は

「 地震だけなら 机やテーブルの下に 押し込めることも出来るでしょうが
津波なら ヨチヨチしか歩けない 18人全員が マイクロバスに乗るまでには
ものすごく 時間がかかります 」

「 津波が来たら 職員の皆さんは逃げてください  津波で もし母が命を
落としても 運命と諦めます  とにかく 若いあなた方が逃げてください 」

勇気が要りましたが こう発言すると 一瞬 場の空気が 凍りついた感がしました。

一呼吸置いて 当時の家族会会長が

「 東北の例を見ても分かる通り あっと言う間に津波は来ます これが夜間なら
職員の数も少ないはず  とにかく 将来のある あなた方が逃げてください 」

「 私の母は99歳になりました  もう  うちはかまいません
それでも 1人でも背負えるなら 若い人から助けてやってください 」

そう言った会長の母上は 翌年 100歳で大往生を遂げました。


会が終り 1-2階の それぞれの入所者の元へと家族は集い 施設から出された
おやつをいっしょに食べて これで 年に一度の 家族会は終了です。

南海地震  必ず来ると言われていますが 出来れば 母の寿命が終わってから
いや 自分が天寿全うしてから‥‥  いやいや  どうぞ 来ませんように。。。


全米オープンテニスで 錦織圭選手が 世界1位の ジョコビッチ選手と戦った
ユニクロ対決は 大方の予想をくつがえし 圭選手が勝利する快挙となりました。

マイケル・チャンの指導のもと めきめき力をつけた圭選手が 同じく小柄な東洋人で
ベースラインから 長く続くラリーを展開した 現役時代のチャンと ダブって見えます。

                 
WOWOWを付けてない家は 決勝戦は映らんのかな?

あと1試合 圭選手は 途中でトレーナーを呼ぶことなく 万全の態勢で戦えるよう
これも願っております。 


     
                  

                                 
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一閑張り工房。

2014-09-06 | 縫物

土佐一閑張りの カゴバックを持つ人を見るたびに ひとつ欲しいなぁと
その都度思いますが どうやって作るのか まるで不明でした。

友の知人がこれを作っており 見せてくれるからと誘ってくれて 初めて
一閑張り作家の工房を 見ることが出来ました。

自宅を工房として かごバッグや インテリア作品を作る作家のMさんは
だれにも師事せず 独自で開拓してきたそうで 広い家の中に センスの
いい作品が並びます。

一閑張りとは 竹で編んだカゴに和紙を幾重にも貼り その上に柿渋を塗って
趣のある作品に仕上げるらしく 作家のセンスや美意識が 作品の出来を大きく
左右するらしいです。

こちらは 作業途中の作品で 工房内は和紙やカゴ類で いっぱいです

 

広い家のあちこちに 作品が置いてありました

 

5月の空にはためく 派手なフラフに柿渋を掛けて 渋く 落ち着いた色になっています

さりげなく 小物類も置かれ 作家のセンスが光ります

 

これは一閑張り作品ではなく Mさんの母上が 貼り薬の包装紙で折った鶴です

Mさんにお礼を言って工房をあとにし 次はお昼を食べに 『蔵や』 へ行きました

ここは 古い民家をそのまま生かした店で なんの宣伝もしませんが 予約なしでは
食べられない人気店です 

2体置かれた  しづこさんの人形は  店の雰囲気にぴったりです

 

お昼のメニューから選んだ 松花堂弁当風の盛り付けは どれも時間をかけ 仕込んだ味ばかりで
ここが人気の原点と 皆で納得し 大食の私でも お腹いっぱいになりました

これは食べませんでした  フェルトで出来ていましたので

大衆演劇もええけんど こういう1日も ええもんじゃねと この日は皆が上品マダムとなって
ごきげんようと 別れました。 

                    
 

 
                  
                   

        

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おばを見送って。

2014-09-04 | 日記

夫の実家近くに住む義姉から 〇子おばちゃんが亡くなったと 連絡を受けました。

〇子おばは夫の亡父の妹で 大正10年生まれの93歳。60代で逝った夫のお墓を守って
1人暮らしをしており 近くにそれぞれ家を持つ息子2人が 毎日母の家を訪れ気をつけて 
おりましたが 人の手を借りずとも なんでも出来る93歳でした。
                                   
同じ県内でも夫の実家まで 今は2時間半と近くなりましたが 以前は車で4時間近くかかり
両親のお墓参りに帰ったとき 〇子おば宅に寄ると よう来てくれたと喜び 帰りはお土産
にと冷蔵庫から出した干物を 新聞紙に包み 持たせてくれました。                                                        

〇子おばは若い頃 隣村の漁師のおじとお見合いをし 男前の相手に一目ぼれして
ルンルン嫁いだそうですが 漁師の妻の過酷さは 農家出の自分には想像もつかぬ
つらいものであったと 語ったことがあります。

漁を終え船が港に着くと 漁師の妻は天秤棒に振り分けて魚を担ぎ 近隣の村へ行商に
行くわけで 普通は売れるたびに荷は軽くなりますが 食べ盛りの4人の子を育てるため
代金をお米でもらい 帰りは行きよりもさらに重い荷を担ぎ 帰ったといいます。

嫁ぎ先は代々漁師の家で カマス獲り名人といわれた舅が逝くとき 舅の最期の言葉は
「オラが死んだら ここらへんのカマスは なんぼか 寛がぁや」であったそうです。

当時の漁村は貧しく 働けども暮らしは楽にならずで そんな中〇子おばは 代々貧乏から
抜け出ることが出来んのは子どもを教育せんからだ 貧乏から抜けるには 子の教育しかない
と思ったそうで 数年前に亡くなった 北野武氏の母さきさんと まるで同じ考えになります。

幼い頃から4人の子は 翌朝父が海に出るための網にエサを掛ける仕事を 手伝わずうちは
寝てはならん そんなオキテがうちにはあったと 我々夫婦と同世代の長男は笑って言います。

歳の詰んだ子が中高と進学する頃 おじも毎日は海に出なくなり その地区の漁業組合長に
納まって 天秤棒からリヤカーになっていた〇子おばの行商も終わり 次は 得意の和裁を
活かし 人さまの着物を縫うようになります。

たびたび高知市の繊維問屋に 反物を買いつけに来る 〇子おばの運転手になったおじは
以前より色白になりふっくらして 増々イケメンになったと 当時の私には映りました。

呉服商売は当たり 以前のボロ家を壊し新しく建てた大きな家は 1階は〇子おばの店になり
いつ行っても 反物に囲まれた店内で 縫う姿を見たものです。

呉服商売の成功がなければ 漁師の収入だけで4人の子の教育は とても無理な話でした。  

〇子おばの希望通り 4人の子は皆教育を受け うち2人の息子が帰り 地元で就職して
もうこれで親の役目は果たした これからは夫婦2人でのんびり旅行しようかね と言った
矢先におじのガンが見つかり 発見が遅かったため 帰らぬ人となりました。

その頃から だんだん時代とともに着物の需要は減っていき 以前のように反物をたくさん
仕入れることが減ったものの それでも〇子おばは人さまの 着物を縫って暮らしていました。

田舎は歳祝いなど おきゃくごとを家でやりますが 元漁師の妻はみごとな包丁さばきを見せ
カツオやモンゴウイカを 皿鉢に盛り付ける腕は さすがのものでした。


火葬場の白い煙を見ながら 今 天に昇って行く〇子おばは 若き頃一目ぼれした男前の
おじの元へ 自分で仕立てた白無垢を着て嫁いでいくのかなと ふと思いました。

「これで 親の兄弟姉妹は 全員 おらんなってしもぉた」  横で夫がつぶやきます。

大正 昭和 平成と3つの時代の途中で戦争も経験した中で 自身の確かな目で 各時代を
見据えたくましく生き抜いた 土佐のはちきん〇子おばの 長い人生が終わりました。

〇子おばだけでなくこの時代を生きた女性は 強くなければ今日まで生き残れぬ そんな
時代であったろうと思われ 皆が ぶんたち姐さんでありました。

4人の子から9人の孫 さらに9人のひ孫と 大所帯になった一族は 日本各地から集まり
母 おばあちゃん ひばあちゃんである〇子おばを見送りました。   
                     

                         

                     

                                                                              

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熟した?山椒の実。

2014-09-02 | 食物関係

今年は山椒の実が 産直にわずかしか出なくて 見つけたら買いましたので
あちこちの実が 合わせて1㎏弱 集まりました。

それを湯にくぐらせ冷凍して 大切に使っていましたが この前  『熟した』
の表現が正しいかどうか不明ですが 色は薄茶色で 通常の実の3倍ほどの
でかい実山椒を 1㎏いただきました。

袋を開けると 思わず  ゴホゴホと むせ込むほどの 強烈な香りです。

大鍋いっぱいの湯を沸かし 実を入れ 次に沸騰するまでの 6-7分程を
湯がき 水に放してザルに上げます。

水きりが出来たら冷凍しようと 1晩置きましたが 部屋中 強烈な匂いが
立ち込め 青い実の 清々しい香りと比べ 相当 存在感をしめします。

冷凍室の青い実と比べても 大きさが これほど違います。


この熟した実を   まろさん   は塩漬けにし 煮魚と炊いておられましたが 実山椒を
使う料理はと クックパッドで捜したら 塩漬け山椒を使っているものが多く これは山椒の
実は冷凍でなく 塩漬け保存が一般的 ということでしょうか。

塩漬けする実山椒は 若く 青い実が最適でしょうが 塩漬けした熟女は 佃煮や煮魚に
使うことにしましょう。

青い実は 香りが飛びやすく感じ さっとしか湯がきませんが 熟女は相当手ごわそうで
どう変身するか 興味もあります。

塩漬け熟女を使うとき 塩出し後にも 強烈すぎる香りなら もう1度 湯を通して使わねば
なりますまいが ぜひとも  『女は そりゃ 若い方がいい』  という世の殿方の 誤った
考えを くつがえす結果を示していただきたい。


今年の夏は かき氷を1度も食べてない こりゃ いかん へんしも 食べにゃならん!
とふと思いました。

『へんしも』 とは土佐の方言で 急いで という意味になり 別に かき氷を食べずとも
秋めいてきました。

宇治金時アイスつき こめかみがピリピリしますが 勿体ないのおばさんは 当然完食で
お腹の底まで冷えました。 

  

                     

                    
                     

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