くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

よさこい2015。

2015-08-12 | 日記
本家のよさこいが 200チーム 19,000人の踊り子で始まりました。



夕方 自転車で街に出ると はりまや橋周辺は 熱気でムンついており
いつもの 高知大丸裏で 大勢の人に混じり 立って見物です。
 


地方車の後を 1チーム 100~150人ほどの踊り子が続き ほとんどが
動きの速い踊りのため カメラがついて行けません。
 
 
 


旗振りというか 旗回しというのか この暑さの中 大旗を振り回すは
しんどかろうね 交代要員が付いて歩きます。
 
 


立って見るだけでも 頭から汗が流れる熱気と大音量の中で 踊り子は
なんぼか暑かろうね 丸亀からのチームは 地元特産のうちわをPRです。
 
 


おじいちゃんと 参加かな?  あらら 踊り疲れて ママの背中で熟睡です。
 


どのチームも 先頭で踊る人は 踊りはもちろんピカイチ  そして美人です。


ドコモ一座が来ました 着物の 前と後ろの色が違います。
 
 
 


よんでんが来ました ここも 毎年楽しみなチームです。
 
 


ラッキーなことに 旭食品が来ました。 毎年上位入賞チームで このチームの
踊り子になるには 厳しい審査があります。 上手なチームは 激しい動きにも
列が乱れません。
 
 


地方車から大音量の よさこい節が流れ もう 頭がぼぉ~~として来ました
え~と なにチームだったのか 思い出せません。
 


岸和田の人が だんじりが好きなように よさこいは 土佐人にとっては
なくてはならないもの。 年に一度のお祭りに 衣装も髪型も奮発します。
 
 


次の出番まで 他のチームを応援する 若い踊り子の衣装は がんばっても
5-60代の踊り子は ちょっと着れんね  う~~ん。。。
 


見始めて 2時間半が経っています。お名残惜しいけれど 帰ることにしましょう
ろうきんチームが来ました。銀行系はどこも正調でしたが ろうきんは派手です。
 


ろうきんチームに この日見た踊り子の 最年長と思えるマダムが踊っていました。
奥さん エライ!  元気をもらいましたよ。


中央公園入口には 次の出番を待つチームが 列になっていました。


今年のよさこいも 堪能させてもらいました。
さあ blogも 夏休みといたしましょう。

 
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高知市納涼花火大会2015.。

2015-08-10 | 日記
毎年恒例の 高知市納涼花火大会が 昨夜ありました。

午後7時半~9時までの間に 4,000発の花火が夜空を彩り
わが家では毎年恒例の 母との行事のひとつです。

母を施設へ迎えにいき 娘夫婦と5人で食卓を囲むと 定刻
通り7時半に 西の空がドンと鳴りました。

 


娘がピザを焼き その昔 母が作ってくれた きんぴらゴボウ
りゅうきゅうの酢の物 高野豆腐の煮物を 私が作りましたが
母の味にはなっていません。



花火は 鏡川河畔からの打ち上げ 筆山からの尺玉打ち上げと
これは毎年同じで 打ち上げるたびに 〇〇提供とアナウンスが
あるはずですが 川べりで見ないと聞こえません。

ナイアガラは 確か 高知新聞社提供だったと思います。



デジカメで 花火を撮るのは難しく シャッターがなかなか下りず
消えかかったときに やっと撮れるという具合で 毎年まずいです。

 


こうやって おばあちゃんと花火を見るのは 今年で8回目やね
と娘が言います。



花火が終り 後片付けも済み家へ連れ帰ると 母が言うには

「 わたしゃ どうして 家へ帰らんがじゃろうかね 今日はなんぞ
あったかね? 」

ついさっき 花火を見たことを もう忘れています。

あと何回 こうしていっしょに 花火見物が出来るのか それは不明でも
今を楽しんでくれたら それでいいと  となりで スヤスヤ寝息を立てる
母の寝顔を見て そう思います。  
 

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よさこい旅8月♪新居浜市

2015-08-08 | 旅行
8月のよさこい旅は 愛媛県新居浜市の 別子銅山を見学する
旅となり お隣の県ですが 初めていく場所です。

東洋のマチュピチュと形容される鉱山跡を 地元のガイド氏と
たどる一日で 前から楽しみにしていました。

マイントピア別子からの山道は 大型観光バスは入らないため
マイクロバス マチュピチュ号に乗り換えます。


マチュピチュ号は うねうねと 30分山道を登り 東平(とうなる)地区に
着きました。東平は標高750mにあり まだアジサイが咲いていました。

天空の産業遺産 鉱石貯蔵庫を見学のため 220段の階段を下ります
見学後は 当然ですが また登らねばなりません。


これがかつての 栄華を極めた時代の貯蔵庫跡で どっしりと立派です。
 
 


かつてこの 深い山の中に 最盛期には 5千人の人が住んでおり
社宅や学校 病院 映画館など 街と変わらぬ暮らしがありました。
 


山の中の学校は 広い運動場がないため 別子の子どもは 野球などは
不得意でしたが 室内競技の 剣道や柔道 卓球は 県下でも№1でした。

別子銅山が発見されて 採掘を始めたのが江戸時代 以来総ての鉱山が
廃鉱になる昭和48年までに 別子で採掘される良質の銅は 持ち主である
住友家を 日本の大財閥に育てる 礎となりました (いずれもガイド氏談)

マチュピチュ号にて 東平から元の場所に戻り 観光坑道へと鉱山鉄道に
乗りました。  鉄道沿線は カノコユリが満開で 匂い渡っていました。
 


観光坑道は全長333m 坑道を入ると 気温は18.5° ひんやりとします。
 


江戸時代は 総てが 人力での作業でした。
 
 


これは 明治に入ってからの写真でしょうか 鉱石を運ぶ鉄道も付き
昭和48年の閉山まで 使われたでしょう 掘削機の展示もありました。
 


明治時代に建てられ 昭和45年まで活躍した 水力発電所。


新居浜市の こども神輿が有名らしくて 伊予かんソフトも人気があります。
 




今回は 華やかなものも見ず ごちそうも出ずの旅でしたが 東洋のマチュピチュ
別子銅山は 心に残る旅になりました。

石見銀山みたいに 世界遺産にならんかなと思いつつ 帰りのバスに乗りました。

   
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1勝3敗。

2015-08-06 | 日記
ピーマンとシシトウの畑に スイカの苗を2本 植えていました。

今まで植えたスイカは タマゴ大になれば 35日後の収穫を目途に
育てましたが 一足先にハクビシンにやられ 畑には残骸の 緑の
皮だけがベロンと残っており  ということが 2年連続でありました。

今までは ハクビシンの全勝で 農夫は全敗でした。

今年は ラグビー玉になる種類を植え 5個が結実していました。

少し早いが ハクビシンの先を越そうと畑に行くと  あらら~~
3個が食い荒らされ そのうちの2個は 今朝がた食べたという
瑞々しさです。

昨日は 5個のラグビーボールが ちゃんとあったのに あのとき畑で
あした取ろうかね と話したことを ヤツはちゃんと 聞いていたのです。

残りの2個は 今宵の晩餐にと きっと目論んでいたでしょう。



残された2個を取り 中が白かったら お漬物にでも と割ると
まあまあの熟れ方で 冷やしたら シャリシャリと甘いです。 



食べ散らかした玉は もっと完熟だったと思われ ヤツもきっと
二夜連続で楽しみにしていたはず 農夫が取り始めると 木の
上から  ドロボー~~  と叫んだに違いない。

3年連続でやられた ということは ヤツの3勝   残りを農夫が
収穫したことは誤算でしょうから 一矢報いたわけで こちらの1勝
ということは 農夫側から見れば 1勝3敗になります。

サッカーは 男子も女子も 1勝がなかなか遠いです。 

今度会うたら  おんちゃん こないだは ごちそうさまと ヤツは
お礼を言うだろう  とは農夫弁です。 

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がんばる脳。

2015-08-04 | シーラカンス定例会

前回は欠席した 月一のシーラカンス例会へ 2ヵ月ぶりに参加しました。

メンバーは農家が多く 間もなく始まるコシヒカリの収穫に 南に発生した
台風を気にしつつも まずはビールで乾杯です。



今回は メンバー最年長の 脳梗塞を克服したHさんが来ておらず 皆に聞くと
それがね‥‥  とリーダーが歯切れ悪く Hさんの近況を教えてくれました。

あんなにがんばってリハビリをし ほぼ元の体に戻ったHさんは 退院後も妻と
早朝の散歩を続け 例会にも出席し すっかり病を克服したはずでした。




ところが最近 自分から何もしなくなり  妻と話もせず 新聞も読まない 更に相当
伊達こきだったのに 着るものにも無頓着 妻が3度目には怒鳴って 渋々と入浴。

TVの前に座っても 観ているわけでもなく チャンネルはそのまま 妻がTVを消すと
見ゆうが! と怒り 目は開けているが どこを見ているやらで 表情は動かず。

また 感情の起伏が激しくなり 突然怒り出したり ささいなことで泣く  とのことです。




シーラカンス例会へ出席したい一念で つらいリハビリも頑張ったHさんが 病気を
克服した今 これはどうしたことか  毎日がそれでは 妻もたまるまい。

脳には がんばる脳という部分があって そこが梗塞されると 自発性の低下が起き 
何をするにもおっくうになると 今回初めて知りましたが それでは 脳梗塞は治っても
自発性の低下を治療することは もう 出来ないものか。

家でウツウツしていたら 増々症状がひどくなって 今度はうつ病になるよ これじゃ。

次の例会には 断られてもひっぱり出そう 外へ出てしゃべったら 気分も晴れるしね
と皆の意見が一致です。



毎度 送り迎えの運転手には 毎度のおみやげ サバの棒寿司と タマゴ巻です。 
 

 

 

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