褒めまくる映画伝道師のブログ

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映画 群衆(1941) メディアの暴走の怖さを描く

2024年12月29日 | 映画(か行)
 メディアの役割とは何だろう?最低限として事実を伝えることが挙げられる。しかし、彼らとて視聴率稼ぎや、発行部数の伸びに目が行き過ぎてしまい本来の役割を忘れて暴走することがあるかもしれない。情報を得る手段として今でもテレビや新聞といった媒体を利用することが多い我々だが、そのようなメディアがでっち上げの記事を作り上げてしまうことの恐ろしさを感じることができるのが今回紹介する映画群衆。勝手にヒーローを作り上げて、民衆を扇動する様子が描かれている。そして、メディアを私利私欲に使って権力を握ろうとする人間が現れることの恐怖が本作から知らされる。

 メディアに踊らさせられる個人の悲劇を描いたストーリーの紹介をしよう。
 ある地方の新聞社だが経営陣が一掃され、大量の解雇通告を行っている。その中には女性コラムニストのアン(バーバラ・スタンウィック)の姿もあった。解雇処分に納得できないアンは腹が立った勢いで、ジョン・ドウという人物を勝手にデッチ上げ、ジョン・ドウの署名で『州知事の無策のせいで4年間無職のままであり、その腹いせにクリスマスイブの日に市庁舎の屋上から飛び降り自殺する』という記事を載せる。ところが瞬く間にこの記事が読者の間で反響を呼び、新聞社に我こそはジョン・ドウだと言う浮浪者で溢れかえる。
 そこでアンは一計を案じて、浮浪者の中から元野球選手の投手だったジョン・ウィロビー(ゲイリー・クーパー)をジョン・ドウに仕立て上げ、さらに新聞の売り上げを伸ばそうと画策する・・・

 アンの策戦はまんまと成功して、彼女は解雇を免れただけでなくボーナスも手に入れる。そして、社長のD.B.ノートン(エドワード・アーノルド)の直属の部下としての地位まで手に入れる。前半は本当に嫌な女として描かている。
 そして、ジョン・ウィロビーはジョン・ドウとしてアメリカ全土を回らせられ、アンが書いた原稿を手にして、社会の弱者になってしまった民衆の心に刺さるような講演を行い、各地でジョン・ドウ・クラブができてしまうほどの超人気者になってしまう。勝手にジョン・ドウに仕立てられ、良心の呵責もあり迷惑がっていたのだが、次第に正義感に目覚めていく展開が気持ち良い。
 しかしながら、この運動を利用して国政の場に打って出ようとしているのが社長のD.B.ノートン。その企みに気づいたジョン・ウィロビーだったが、D.B.ノートンに先手を打たれて全米の観客を前にして正体をばらされる。この時にジョン・ウィロビーは一斉に罵声を浴びてしまう。このシーンが大衆心理を表していて恐ろしい。この映画の原題はMeet John Doe(ジョン・ドウに会う)なのだが、邦題を群衆にしている意味が理解できるシーンだ。そして、前述のアンの思い付きの記事の通りにジョン・ウィロビーはクリスマスイブの日に市庁舎の屋上に向かうのだが・・・ここからのネタ晴らしは止めておこう。
 メディアの力によって、一個人がアメリカの英雄として祭り上げられて、邪魔になったらどん底へ引きずり下ろす怖さを思いしらされた。しかしながら、観終わった後に民衆の逞しさを感じることが出来る。ジョン・ドウという架空の人物に、次第に芽生えてくる大義は多数でなくとも少数の人間の心に届いていたのだ。強大なパワーを持ったメディアの力に民衆が打ち克つ瞬間を見ることができる。第二次世界大戦中の映画であるが、今の時代を思うと先見の妙を感じさせる映画だ。社会風刺劇の装いだが、恋愛劇の要素もあり、笑えるシーンもあったり、最後は気持ちの良いところでエンディングを迎える映画ということで今回は群衆をお勧めに挙げておこう

 監督はアメリカの正義と良心を大いなる理想主義で描き続けたフランク・キャプラ。彼の作品は本当に気持ち良くなる。或る夜の出来事素晴らしき哉、人生!オペラ・ハット一日だけの淑女我が家の楽園、彼にしては珍しいサスペンス毒薬と老嬢がお勧め











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