最近ド忘れがひどくなったような気がします。夫婦で会話していても、二人とも人の名前が思い出せないなどということがよくあります。「ほら、3班のあの人」だとか、すぐに名前が出てこないのです。そんな時は、どっちが早く思い出すか競争したりもします。人の名前などの場合は、私の方が早く思い出すかな。(*^_^*)
妻はせっせと図書館へ通って、いろいろな本を借りて来ます。日曜日朝のBS放送で「週間ブック・レビュー」というのがあります。この番組で紹介されて興味がある本をメモし、図書館から借りるわけです。普通の場合、「この本面白いわよ」などと云われても、私はあまり耳を貸さないことしています。しかし、この「脳はなにかと言い訳する」という本、面白かったですね。
「ド忘れ」はほんとうに忘れているわけではない。脳に蓄えられている記憶は実に膨大で、私たちはその記憶を自在に活用しながら生活しているのだと。その圧倒的な情報量に比べて、たまたまあの人の名前が出てこないといった「ド忘れ」は些細な量に過ぎない。だから、何かをたまに忘れてしまったからといって、落ち込む必要などない、などと書いてあります。本来ならばむしろ、膨大な情報を記憶している自分の脳の素晴らしさに目を向けて、「すごいなー」と思ったほうがいい。健全だし、正しいなどとあります。しかしその一方で、記憶力のよしあしは、生まれた時の「記憶の遺伝子」を調べれば記憶力がいいとか、記憶力が悪いとか、分かってしまう、などという論文が発表されているとも。(-_-メ) 以上の一部、本からの引用です。
妻はせっせと図書館へ通って、いろいろな本を借りて来ます。日曜日朝のBS放送で「週間ブック・レビュー」というのがあります。この番組で紹介されて興味がある本をメモし、図書館から借りるわけです。普通の場合、「この本面白いわよ」などと云われても、私はあまり耳を貸さないことしています。しかし、この「脳はなにかと言い訳する」という本、面白かったですね。
「ド忘れ」はほんとうに忘れているわけではない。脳に蓄えられている記憶は実に膨大で、私たちはその記憶を自在に活用しながら生活しているのだと。その圧倒的な情報量に比べて、たまたまあの人の名前が出てこないといった「ド忘れ」は些細な量に過ぎない。だから、何かをたまに忘れてしまったからといって、落ち込む必要などない、などと書いてあります。本来ならばむしろ、膨大な情報を記憶している自分の脳の素晴らしさに目を向けて、「すごいなー」と思ったほうがいい。健全だし、正しいなどとあります。しかしその一方で、記憶力のよしあしは、生まれた時の「記憶の遺伝子」を調べれば記憶力がいいとか、記憶力が悪いとか、分かってしまう、などという論文が発表されているとも。(-_-メ) 以上の一部、本からの引用です。
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