「あめあめ降れ降れ母さんが蛇の目でおむかえ嬉しいな・・・・・」
小学校低学年のときのことを思い出します。
母が云います。「今日は午後から雨が降るから傘を持って行きなさい」。 「傘は邪魔だからいらない」と私。
そして、案の定、午後は雨。学友たちはお母さんのお迎えで嬉々として帰っていきます。こんなとき、私の母は絶対に迎えに来なかった。「自分が云ったことには責任を持ちなさい」。振り返ってみれば厳しい一面のある母でした。
私の通っていた小学校は、「中江藤樹」の屋敷があった跡地だったとか。そんなこともあって、小学校でも家庭でも、「中江藤樹」の話はよく聞かされました。
真冬の雪の日、修行中の中江藤樹が家に帰ってきても、家には入れず追い返したという話。修行途中で戻ってくるとは何事か、そんな話だったと思います。この話も母から聞かされたかもしれません。「あめふり」、楽しい歌詞ですが、私には厳しくそしてやさしかった母のことを思い起こさせる童謡です。
中江藤樹
困ったときに「お向かいのおじいちゃんち」を頼った子どもさんは、おそらく(挨拶を返してくれたときの)茂彦さんご夫婦の「優しい眼差し」を感じ取っていたに違いない。
茂彦さんのお母上が、傘を持って行きなさいと仰ったのは「優しさ」、迎えに行ったら「甘やかし」になると考えられた、と思います。
母を引き取り、他のお年寄りと話す機会が増え、やっとそんなことが分かるようになりました。
それから、前回「プレッシャー」をかけるようなことを申し上げ、すみません。
ずっと後でも思い出せて心に残るのは子供にとっては良いことです。
甘いだけでも駄目、厳しいだけでも駄目
子育てとは難しいものだと思いますがお母様の子育ては筋が通っていたのですね。
それを子供にちゃんと理解させたお母様の子育ては立派だと思います。
今、世の中がおかしくて母性を無くした女性がいます。
お母様の子育てを教えてあげたいですね。
讃岐の団塊オヤジさんの「優しさ」「甘やかし」のお言葉に
なるほどなと思いました。
茂彦さんのお母様も、きっと雨に濡れて帰るわが子を心配しながら
傘を持って駆けつけたいのをぐっとこらえていらしたのでしょうね。
私の場合は、幼い時から母はずっと病でしたから、必然的に
同じような状況になっていました
忘れ物をしても同じこと。おっちょこちょいで抜けていた私は
しょっちゅう忘れ物をしていて、忘れ物大将などとありがたくない
称号を担任の先生に貰ったことすらあるんですよ~
私の母は明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きたわけですが、やはり特に戦前、戦中の教育で、自分なりの規範を形成していたように思います。(父も然りです)そして、そのような行動規範で、自らを律し、子供にもそれを求めたのですね。考え方が古いと云えば古いかもしれません。私などと考え方が違うことも多く、よく衝突もしましたが、振り返って考えれば、父母の方が正しいと思われることも多かったです。
讃岐の団塊オヤジさんも母上を引き取られ、いろいろ生活環境が変化してきましたね。よきにつけ、悪しきにつけ、いろいろ新しいことを経験されることでしょう。
なにか、コメントをいただいた内容と違う返事になってしまい申し訳ないです。自分でも何を云っているのかよく分かりません。前回のプレシャー発言?、全然気にしておりませんので、謝っていただくとかえって恐縮です。
子供だった私にとっても、かなり強烈な印象が残ったのでしょうね。いつまでも忘れられない思い出のひとつです。
甘やかすことだけでは子供のためにならない。本当の愛情とは何か。そんなことを教えてくれた母に今でも感謝しています。
コメント有難うございました。
本当の愛情とは何か、そんなことを教えてくれたように思っています。
それにしても、ポージィさんが幼い頃、お母様が病気ではさぞかし大変だったことでしょう。幼い頃から自立されていたのですね。
おっちょこちょいで、”忘れ物大将”ですか、信じられな~い。
一度嫁に来た以上、どんなに苦しくとも我慢し、主人を立て、子供を育て、陰で家を守る。
それが当然のこととして生き抜いてきた。
うちの母も、我慢せずにもう少し早く治療していたら、あんなに若くして死なずにすんだのにと思うと、親父を恨みたくもなる。
時には厳しく鞭撃たれることもありましたが、末っ子として母には特別に可愛がられた。それだけにものすごいショックだった。
茂彦さんは、お母様が長生きされたので、充分親孝行も出来たでしょうが、私などそれが出来ず残念です。果たしてどれだけ出来たかはわかりませんが…
今、その偉大なお母様のことが思い出される日々だと思います。母は永遠に心の中に生き続けます。
夢閑人さんは早くにお母様を亡くされたようで、心が痛みます。何才くらいの時だったのでしょうね。小さいときであれば、尚更辛かったことでしょう。
私の母は長生きしてくれましたが、振り返ってみれば、あまり親孝行をしたとは思えず、申し訳ない気持ちはあります。ともあれ、母を慕う気持ちというのはいくつになってもあるもののようで、今更ながら自分でも驚いております。
コメント有難うございました。