枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霧笛

2011年03月03日 | Weblog

 レイ・ブラッドベリの、『ウは宇宙のウ』『スはスペースのス』の作品の中にある、霧笛。この音に惹かれて、深海で眠る恐竜が目覚める。時を超え、深い海の底からやって来る。だが霧笛は、恐竜に何も応えない。やがて霧笛を鳴らす灯台を、荒れ狂った恐竜は壊し、再び海の底へと還る。二度と姿を見せないことを約束するかのように。

 萩尾望都さんのコミックでも見た。なんともいえない哀愁がある。最近の活字離れの要因は、読もうとする時間を、持てないからのように感じる。何も、作者を覚えなくてもいい。そこに描かれている世界を知ることで、自分が往けなくともあるのかも。という不可思議さを少しはわかってほしい。そうして文章とは、流れの中で書いていることをみてほしい。

 時は廻る。河は流れる。人間もまた、存在価値の有無に限らず、数秒の時の流れに添っていることを感じてくれればいいのに。とも思うのだ。私の生き方もまた、ある意味、物語なのだから。何処から来て、何処に向かうのか、誰にもわからない。まあアニメで観るのもいいではないか。でも、原作も読んでほしい。

 例えて言えば、自分が何かで文章を書く時に、句読点や改行など、教えてもらわなくてもいいようにはなりたい。或いは、文字の長さも、どこで変えればいいかがわかるというもの。どんなに素晴らしいことを書いていても、こういった基礎ができていなければ、見苦しい。全く文章の理解ができない。つまりは読めないのである。

 以前、浜さんに、このブログの文章の改行を指摘されたが、なるほど読み辛かった。その後は数行で改行したり、改善を試みている。また、何年も続けていると、タイトルや文章の重複になってしまう。似通ってきてしまい、更新することの壁を感じた。これらは日々の生活や購読の新聞で、話題の幅を広げるのに頭が痛かった。

 個人の日記なので、いい加減が書ける代わりに、事実や真実が書けないこともある。でもまあ、内容を読めばわかることもある。勤務先でもブログをやっているが、書き手は担当者がするようになっているのに、悩むのは何故だろう?やり方さえ覚えてしまえば、視点をどこに持って行くかで、色んなことが書けると思うのだが。

 寒水仙。例年は、12月に咲き、立春くらいには咲き終わる。今年は、2月の下旬から咲き始めた。

コメント
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