昨日、Aさん地の水を、ポリタンクに入れて、放射能で水が飲めない。というリエさんに送った。本当はペットボトルがよかったのだが、何処を探しても見当たらない。Aさんは快く分けてくださり、クロネコで発送した。いつ着くか心配していたんだけど、電話がかかってきたの。ああ、よかったぁ!これで枇杷葉茶が飲めるね。宅配の小父さん、ありがとう。
水を送って喜んでもらえるとは、なんという世の中になったのだろう。それでも、送れる水があり、手段があるからいいんだ。連絡も絶たれ、水も食べ物も、一切がなければ、どうするのだ?食べれる野草を知っていたりしても、中々口にはできないだろうに。米を寒中に干して、保存していれば、水に戻すことができる。或いは、火を熾し粥が炊ける。
古人の知恵を、高齢者の人は思い出して、また原始的なやり方も、ある程度知っておかないと、誰も助けてはくれない時、どうするんだ?自然の恵みを分けてもらうことは、あらゆる意味で感謝し、恩返しをしていくことだと思う。そうしていかなければ、この先、生きていくのは難しい。それなのに、同じ事を繰り返してしまうんだ。羹に懲りて膾を吹く。
この1ヶ月ほど、左半身の腎機能が低下して、しんどくてたまらなかった。仕事は休めない。病院へは行きたくない。散々考えた挙句。枇杷葉温圧療法をやってみよう。と、思い立つ。蒟蒻は冷蔵庫に買い込んである。鍋に水を張って、ガスを点け、弱火で温めるのだ。それを取り出して、タオルに包み、生葉の枇杷葉を患部に当て、その上に載せる。
最初は、熱いのだが、辛抱していると、じんわりと温かいのが伝わってくる。仕事の時には、帰宅してからやり、休みの日には、温めては載せを繰り返した。鈍痛があった患部が、徐々に和らいでいき、寒さで凍り付いていた体が、息を吹き返した。腰痛も治まり、体調も戻って来たのがわかった。自然治癒能力の素晴らしさを知った。
災害時に必要な物の中に、湯たんぽと蒟蒻は必須です。今更ながら、自然の恵みを、枇杷葉にもらっていたことを、深く感謝しました。信じることも大切なことです。私は、何を於いても、神の御標の枇杷葉を、これからも伝えていこうと思います。見えないものを、心の眼でみていきたい。感じていきたいものです。
今年の寒中にかけた、寒冷紗です。今の時期には、殆どが霜にやられていましたが、今年は花芽が咲いている。