秋の長雨か。雲っては降り、降っては止むが、何となく頼りない空に、秋の季節を想う。末吉暁子さんが誕生されたのは、今年には旧暦の七夕に当る。秋の、明方であったため、暁子と名づけられたそうだ。不安定な天気に、心が晴れないが。
勤務は相変わらず激務で、この歳になっては、何時まで続けられるか不安が伴う。車の運転にも夜間は支障が出る。勤務時間も限られてくる。可と言って、家でのんびりとはいかない。枇杷葉は売るほどあるが買い手は居らずの状態です。
何しろ、親しい方には皆、枇杷葉を植えてもらっており、生葉も他の物も、然したる必要もないので、差し上げる程度になる。料金をもらっても、直ぐには効果の出ることでなし、こちらの想いも届かない。差し上げたと思う方が、気持ちはいい。
それに。面倒くさいのもあって、法的なことにも疎ければ、なにやかやと面倒が起きるのも避けたい。金銭的なトラブルは御免だ。必要とあらば、送料のみで送れば、我が家にある物で賄えるので充分過ぎる。感謝してくれればこその財産。
但し、枇杷葉の薬効やら、効能をいい加減に遣られると、効果は薄い。病は気からと言うが、自分で治したい気持ちと、それに応える想いとが一致しなければ、効きようもない。神(自然)への祈りと感謝の心が遭わないと、快復は覚束無。
或いは、根気良く続ける事が可能になってくる。こういうのは、個人差と言うべきかも知れないが、一朝一夕に効けば、それで終わりとはならない。自然からの命には、あらゆることへの祈りと感謝がある。人間の想うさまには、何事もいかない。
自然に還る、からこそ解かることもある。森羅万象への摂理には、言葉を幾ら並べても勝てない。無心になり、宇宙の粒に解けてこそかもしれない。何も望まず、何も欲せず、無我の境地に至ってこそ、知り得ることもあるだろう。簡単ではない。
今年の、新暦での七草の夜。この時期の宇宙には、月や金星が夕刻から輝きだす。心も解放される。