枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

時は過ぎ行く

2017年08月31日 | Weblog

 本来なら、夏休みの最後で、宿題を暑さの中で仕上げるか、諦めて遊びに脱走するかの日であった。昨今は事情が忙しなくなり、前倒しで始まっている。かと思えば、夏休みに入ってから、土用登校があり、結果的には短縮の様変わりだ。

 大人になれば、長期の休みは難しい。せめて子どもの時くらいは、好きなことへの没頭に、と思うが、現実にはそうもいかないようにする、文部省である。子どもの時の、自由で奔放な発想があれば、生きられることにも繋がる、とも思える。

 我が児が、小学校の低学年の頃、心地好い風に居眠りをしたらしい。教師は、授業中に居眠りとはけしからん。と反省文を書かせた。初夏の爽やかな風が、教室のカーテンを揺らしている様を、笑って話しかけてきた。と書いていたものだ。

 それを授業そっちの気でやっていたら、眠りを誘われたといい訳である。参観日の保護者会での、担任の話に、大勢の前で赤面したが、そこに書かれてある内容には納得できた。正直に、テレビの見過ぎや、ゲームのし過ぎと書かなかった。

 決まりきったことが正しいことばかりではない。世情を反していることも、間違っていることを、正しいと遣っていることの方が多い。沖縄の辺野古埋め立てがそれに当る。地位やお金のために、人類を滅亡に導き、地球を破滅させているんだ。

 子どもの成長に欠かせないのは、愛情以外にはない。いつくしみはぐくむ、という行為が、大きくなった時の柔軟な判断力を培うもので、親の掛け声や、叱咤劇症が、無気力な大人にしてしまう。何を、どうすれば、この困難を脱出できるか否。

 現代には、お金と暇を持て余して、機能重視の便利な機械が氾濫する。自分で考え、悩みつつということもなく、スマホで簡単に検索できる。苦労して、自分で遣ろうとする意欲を奪って、可哀相と親が手を出してしまう。同時に口も出すのだ。

 子どもには本に親しんでもらいたいので、極力書籍の類を紹介したり、贈っている。その親が、どれだけ活用してくれているかは不明だが、本を読み、思考を豊かにしてほしい。良書と言われなくても、本人が気にいった本は、一生の宝となる。

 今年の正月に、ふと見遣ると、花芽が見えた。結実は、寒さでしなかったが、とてもいい香りがした。

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