枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

破れ被れの・・・

2017年08月19日 | Weblog

 佐藤愛子さんと言う作家を、認識はしていたが、作品は読んでいなかった。面白くない、と言うのが正直な感想で、お兄さんが有名な方であるから。と単純に思っている。今、急に人気が出てきたようだが、昨今の情勢には中々愉しい。

 還暦を過ぎた辺りから、何かと呆れる事が増えた。時代が違うと言えばそれまでだが、何故老人・高齢者が、可愛いと謂われなければならないのか。真っ平御免である。以前にも書いたが、可愛いのは、何の手立ても無い庇護のことだ。

 服を可愛い、仕草を可愛い。とは老人を莫迦にしていよう。言葉を知らないのは、若い者であるとばかり思っていたが、同年代の口からも平気で出る。辞書を引くか、本を読め!と怒り心頭にきている。わたくしは、など謂われたくもない。

 そういった気分の者には、佐藤愛子さんの著作は、水を得た魚だ。小気味が好く、胸すっきりと爽快である。死に損無いの婆さんの繰言で、大声で云わぬだけであり、腹の中では思っている。介護の世界というか、現状の実際問題だよ。

 施設に放りこみ、面会にも来ない家族。来ても、理由をつけて直ぐに帰る。唯に事欠いて、眠っていて噺ができないだの。何も分らないようですね。って、自分等が放置しているからでしょう。小まめに訪ない、身体に触り、心を向けてれば。

 誰が好い悪いという問題ではなく、心の持ち方であろうか。どんな状況であろうとも、親子は変らない。親が子を思い、その愛を親に尽くす。あたりまえの行為であるのに、遠いからとか、忙しいからと言い訳をするのに、施設は持って来い。

 昨夜、遷す程降った雨も、明方には上がって、今朝は青空が広がった。布団を干し、洗濯物を広げ、すばるのトイレを替え、何となくのんびりとした。夕方には、茗荷を茹でておこう。明日の握りの段取り。勤務先では稲荷寿しの予定です。

 今年の、新暦の元旦。仕事に出ての帰り道、宇宙に浮かぶ月の姿に見惚れる。旧暦では正月は休む。

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