駐車場の蜂の巣を退治し、ふと木香バラの茂みを見ると、あるではないか。急遽、山茶花や枇杷葉の通りを良くしようと、伐っていった。蜘蛛の巣も張っているし、不気味さが増している。刺されても、枇杷葉エキスがあるので、大丈夫なのだが、可能なら避けたい。息子に言うと、澄ました顔である。
こちらが困っている時には来ないで、忙しい時に限って来る。孫等にお八つを託けるが、電話さえかけてこない。ドクダミをせっせと取り、切って新聞紙に並べていく。綺麗に乾いたのは、何時もお世話になっている方に、箱に詰めてあげるのだ。我が家の薬草には除草剤はかけないので、甘くて旨い。
勤務から解放されて帰宅し、夏至が過ぎたばかりなので、外は未だ明るい。ドクダミを抜いて、家の中に持って入る。小腹が空いているので、枇杷を口にし、洗濯機を回しておく。やれやれ誰も代わりが居ないから、段取りよくしておかねばならない。明日は早出である。弁当の用意は、腐るので注意!
夏野菜をしっかり食べ、冬への身体を作っておこう。じゃが芋と玉葱の美味しいことは格別で、素材を生かした遣り方で、簡単でもあり美味しくもありだ。生の味も新鮮でかつを節を混ぜただけでも。でも子どもの頃には、毎日同じおかずで、うんざりしていた。朝から夕方にも、同じ材料が食卓に出る。
還暦を過ぎた頃から、頭の切り替えをして、自然からの恩恵に感謝して、旬の野菜を口にするように、材料の吟味に関心を持った。自然栽培、と言う季刊誌が出るようになって、定期購読を始めた。今回、木村秋則さんは、癌も自分の身体の一部、と書かれていたが、その通りだ。枇杷葉の大切さは必須。
わたくしの身体にも、癌細胞は存在している。然し、枇杷葉茶を飲用したり、花芽や種に援けられて、元気で居られるのだと思える。体調が思わしくなく、異変を感じると、枇杷葉の種を齧る。お茶も種のにしたり、趣向を変えるが、基本には枇杷葉で乗り切っていく。命を終える日が近くなっているよ。
医者に行かないのも、人間歳を重ねれば、何処かしらが悪くなるので、それなりの覚悟をしている。医者には罹らないし、施設に通う気もない。それなのに介護保険料を徴収するのは以ての外だ。延命など煩わしいばかりだ。注射針を刺すくらいなら、飲まず食わずで死のう。贅沢な生活は一切望まない。
昨年の枇杷葉。たくさんの実に感謝して戴く。リエさんや暁子さんにも。サンタさんのは生らず。