意思の疎通を欠く、と言うか、行き違いではあるが、殊枇杷葉になると状況は急変する。何故なら、青酸配合体による毒素が、体内に入ったら、呼吸困難や吐き気、頭痛等の症状がでるからだ。薬は毒に、と言うがそれで、青酸カリに匹敵する猛毒なので、或いは死に至ることにもなる。
Aさんに持って行った枇杷葉の種。まさか焼酎にエキスが出ないまま、口にするとは思わず、あげていたものだ。それにローション用のがあった筈、と安易に考えていた。それにも況して、長崎茂木も美味しくなかったそうだ。何故なんだろう?我が家のはどれも甘く、美味しかったが。
リエさんにも、サンタさんからも、しーちゃんからも、丁寧なお礼を言われたが、それは表面だけのことなのか?毎年、美味しかったのが、突然不味くなるとも思われないが、何だかがっかりした。人任せと言うか、自分でしようとはしないで、宛てにすると駄目なのかもしれないなぁ。
職場にも、同様の者が居て、手間暇かけての結果でないと、枇杷葉には現れないことに気づかない。お礼を言うのも、言葉だけのことでなく、或いは当然とかと思わず、時間を割いて持って来てくれた想いがほしい。自分は何でも構わないが、他人さまには、いい物を差し上げるように。
寒中の時期に、枇杷葉を採り、綺麗にして持って行くのも、相手の症状を思えばこそだが、そこまでの気持ちを汲んで、どうして自分でしようとしないのだろう。それには何よりも、自然への感謝と祈りが要る。個人的には、医者は信用しない。病院へも行かないのを信条にしている頑固。
有吉佐和子さんの、複合汚染には、実に様々な薬害やら、公害やらが書かれている。田中正造の足尾鉱山への執念にも、何を以てして、謂れのない病に罹ったのか、無念の魂の戦いがある。人間として何が正しく、何が間違っているのか、その根本には何があったのか知り圧倒されたが。
他人のために、何等利益を得ることもなく、ここまで遣れるものかと思うが、理不尽な事柄に、様々なことを調べて、国会に出向く勇気にも驚く。人間であるということは、正しいことしかでなく、そこに生活を余儀なくされる庶民が存在する。生きるための手立てにも、知識を深め進む。
現代では、理不尽を通り越して、無念さが募る。人が人を殺めることは、どんな場合にも赦されない。武器を持っての戦にも、無差別な殺人にも、何等殺される理由はない。死にたければ、自分で勝手にしてくれ。他人の人生を奪い切断して、哀しみの癒える筈もない。相手を許せますか。
昨年、大輪の華を咲かせた、深紅の薔薇。咲いた後の花弁を、たくさん取っておいて浸けた。