枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

曇り、雨の空に

2018年06月23日 | Weblog

 梅雨時なので、雨は当然である。こういう時には、掃除がいいので、特に窓拭きに適しており、出窓の掃除に精出す。雑巾で丁寧に拭いてから、溜まった塵を掃除機で吸いこむ。パソコンの部屋と、寝室もしておく。すばるの抜け毛は、銀河程でなく、枇杷葉茶のお陰と思う。猫独特の臭いもない。

 戦争はいけない。それなのに絶えないのは何故だろう。犠牲になるのは、何時も国民であり、無力な者である。沖縄の人々が、アメリカ軍や日本の軍部の犠牲にされ、命を奪われた。自分達の生活には、物言わぬ人々の無念さがある。それなのに未だ、基地の拡大を図ろうと、埋め立てを強行する。

 命は、地球よりも重い、と言うが、それは一体誰を指すのだろう。地球だって、人減が増え続け、呼吸をしようにも、建物やアスファルトで、地表を覆ってくるのだから、苦しくて叫ぶのだ。地震も津波も、人間が起こしていることに、変わりはない。この青い星に棲むなら、凡ての生き物に配慮。

 夕方、Aさんちに出掛けるのだが、昨日小学校の恩師に遇って約束した。散し寿しを持って行くのに、ご飯を仕掛けた。上司に先に話していたが、その時に恩師を思い出したもの。運よくか、帰宅時に外に居たので約束した。施設の前に自宅があるのだが、意外と遇わないものだ。昨日は仏滅かな。

 今朝は、程々に起きて、珈琲を挽いて淹れる。新聞も丹念に読み、ため息の出る内容に、政治の無駄を思い知る。大阪を視察した様子が、テレビに映っていたが、とても相手を思い遣る顔ではなかった。これは育った環境の影響が大きい、と悟った。鳶の雛が孵ったのか、賑やかに啼いておる。雨。

 ご飯が炊けたであろうと、台所に行ったら、何ということか蓋が開いている。思わず「すばる」と叫ぶが、後の祭りで、炊き直しとなる。最近は悪戯も下火になっていたが、ずっと仕事で遅かったもの。甘えん坊のすばるなのを失念していた。梅雨時の気温の低さに、肌寒さを毎晩感じるのか傍で。

 休日には、しておくことが多い。天気にも依るが、その時々の用事もある。外出はまとめてするので、短時間で済むことは少ない。それでも寄り道はせず、勤務先と自宅の往復である。人間が思う時間の過ぎるのとは、多少は違うのだろうが、何分未だ小さいので、甘えているのだ。そうは言っても。

 外は、雨になったり、止んで明るくなったり、時雨れたりと急変の空だが、銀梅花が咲きだし、紫陽花も満開となっている。枇杷葉の実が、日照り不足で中々熟れないので、袋を外しては掛け直す。野鳥には分るらしく、袋の外から齧る。人間の愚かさを垣間見るようで、何だか可笑しい。明日は晴。

 薔薇も、淡い色のは愛らしいものだ。色に依って、様々なのがあるが、無理をして作っても元に還る。

 

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