子どもらしくない娘で、父が嫌いだった。父にとっては、初めての女の子で、対応の仕方が分らず、おろおろしていたものらしい。晩年の父は気の毒な程、気弱になって、妹を頼りにしていたようだ。兄は、長男でありながら家を出て、自分達の家族だけでの生活を選び、金だけの介護であった。
この時期になると想いだすのは、我が家で生った枇杷の実を取り、実家まで持って行って食べさせたこと。甘い、美味しいと喜んで、持って行ったのを全部食べた。その後、田舎の雑貨屋に買いに行ったそうだが、同じ味のはなかったらしい。母も残念がって翌年、食べさせる心算であったが。
どんな物にも命が宿り、心を籠めて作れば、その気持ちに応えてくれる。丹精籠めて育てて、花芽が咲き、結実すれば感激で胸が一杯になる。暁子さんのにしたのは、房州枇杷、毎年生るのは長崎茂木、サンタさんのは淡路田中だ。其々に大きさも、形も違い愉しいもの。リエさんのは茂木かな。
白茂木もあるが、これは中々結実しないし、途中で枯れるか育たない。土肥の白枇杷が、我が家にあること自体奇跡で、花芽が付くとは思わなかった。本当にあり難い。自然からの恩恵を感謝して、宇宙に祈り、風や雲の様子に心を向ける。何が幸せかは誰にも分からないが、有りがたいことね。
勤務先でも、次第に枇杷葉茶の愛用が増えているが、自分でするのと、人任せにするのでは意味が違うよ。我が家の枇杷葉の生葉を、料金も貰わずに上げているが、寒中に作っておきましょう。には誰かがしてくれるからでは、何も起こらない。めんどくささや、大儀であっても自分ですることだ。
枇杷葉の樹も葉も、邪気を祓うが、自分の心掛けを清めないと、効果は覿面出てしまう。それは、これまでの己の生活にも依り、陽となるか、陰と出るかは決められない。我が家の屋敷の周りは、結界が張られていることがある。摩訶不思議な体験をするのも、宇宙の彼方と繋がっているのかもね。
本日の介護業務は、メンバーにも依って、上出来の日だった。誰も文句を言わず、お互いが協力し合ってやり、無事に勤務を終えることができたのだ。出勤してきてから、私語ばかりの者も、業務を考えずにする者も居なかった。我儘を言わず、皆が的確に行動できたのはよろこばしい。充実の日。
日本鈴蘭は、湿気や陽当たり状況で、中々育たないが、このドイツスズランは、旺盛な繁殖。