夏椿、とも言うそうだが、沙羅双樹の方が、何となく風情があるし、白い花に似つかわしいもの。我が家のは原種になって、いつの間にか山茶花だ。花が咲くので、どちらの季節でもいいようなものだが、夏の時期に花が少ないので買ったもの。植えた場所が悪かったのか?がっかりであるなぁ。
勤務先の部署別に、施設内での研究結果の発表が、夕方から行われているが、心身共に疲れて、仕事を終え帰宅する。明日も仕事でありお腹も空く。疲労困憊では、居眠りが堕ちだろう。ヘロヘロになって帰宅し、肉じゃがをぱくつきつつ、どうにか息をするが、人数が多かったにしては疲れた。
梅雨の中休みか、と思いきや、突然の土砂振りにびっくりする。天から桶を移したかのような勢いで、凄まじい雨音である。勤務を終えた頃には、すっきりと上がって、清々しい感じであったが、梅雨は未だ明けない。枇杷葉の新芽もすくすく育って、無事に一年を終えた。お礼肥えを遣ろう。
蜂が、羽音も煩く飛び回っているのを、何処かに巣を作るのだと、緊張している。駐車場の上に、茂った場所にするので、油断がならない。枇杷葉エキスがあるから、刺されたら塗るが、何度もは流石に厭である。網を買ってくるのもいいか。単独での飛翔なら捕まえられるが、襲って来られては。
今年の枇杷葉は、リエさんを始めとして、佐藤さとるさん、りささん、サンタさにも送り、リエさんの勤務先にも送った。お世辞かもしれないが、何方も美味しいと言ってくださったが、Aさんに上げたのだけが、違ったらしいのは、何故だろう。仏壇に供えたので、ご先祖さまが召し上がった。
祖母が元気で居た頃に、仏壇にお供えをしたら、味が無くなったのがあった。子ども心に不思議で訊ねた。そりゃなご先祖さまが、召し上がったのよ。お茶だって、湯気を飲まれるからの。と話してくれた。下げて戴くのに、味はそのままに。と言うとくのよ。半信半疑であったが、納得することも。
人間は、自分さえ好ければと思うので、美味しい物は当然と考えるが、お供え物はご先祖さまに召し上がってもらう物。そこんところを勘違いすると、文句が不平が出て来るのだろうな。我が家の枇杷葉は、野鳥も袋から啄むほど、味に関しては自慢。人間だけが口にはしないの。自然のおすそ分け。
蒟蒻と、枇杷葉とで、手当てをしたり、身体を温めたりをするのは、気分的にも新鮮になれるが、時間が惜しいとか、忙しいので、と言われると言葉が出なく固まる。痩せたいだのは云わぬこと。体調不良を訴えないで。自分の身体は、責任を取りましょう。冷房で、血液が固まって流れないのよ。
枇杷湯に足だけを先に入れ、徐々に湯舟に身体を沈めて行く。朝までぐっすり眠れるのがうれしい。冬には湯たんぽがあるが、夏分にはちょっと要らない。パジャマを着て、蒲団はあまり掛けないが、お腹の上にはダウンケットを。無論のことに、腹巻は放さない。還暦を越えてしまうと怖い物はない。
深紅の薔薇を一輪、切って挿した。テーブルが華やかになって、心が躍る。何年も咲いたが、今年は枯れた。