枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

梅雨なので・・・

2018年06月08日 | Weblog

 今朝は雨となる。昨夜から、軒下を打つ雨垂れに気づいていたが、今朝には止むかと呑気に構えていたのだ。休日の予定が変更になったが、ドクダミを摘むことで、急ぐものでもない。雨に濡れたのは、黴が来るので出来ないのだ。図書館に行き、返却と貸出しをしてもらって、燃料補給をしておく。

 ガソリン代が急上昇で、その費用に頭が痛い。これは車を持つな、と言うことかも知れないが、田舎では移動手段に事欠く。仕事を辞めたら、てくてく歩こう。健康のためにもいいことです。ちょっとが通じない場所では、時間的な問題が生じるが、それも致し方ない。枇杷葉茶を飲んで健康維持だ。

 このブログを読みに来てくださる方の多さに、時々びっくりすることがある。上手い話もないし、単刀直入の物言いだし、はたまた、実践するのも、根気も持続もなければと、手厳しい文字内容に、嫌気の指す方も方もおいでだろう。と内心では思ってはいるのだ。でも、美味しい話は転がってない。

 テレビを観ていて、商品の売り上げが、実際に高いなら、黙っていても口コミで売れはしないのか?と疑問を抱く。枇杷葉なら、この場合にはこうだし、ああいう時には、この方法をするのだ。とつい思ってしまうのが間違い。他人のお節介には何も言わぬがいい。見てみぬ振りが、知らん顔が好い。

 然し、世の中には一方的に、資産のある所にはあるんですねぇ。殺されたらそれまでなのに、無造作に放りだしておける方が。反対に、生きて行くことにあくせくしたり、儲け話はないかと思ったりもする。この格差は何だろう。同じように働いても、頭の使いようなのかも。悪いことも偶にはいいか。

 還暦を過ぎた頃から、修業を積んだら、魔女になれるものかと、本気で考えた。魔法学校というものさえ定かでないが、こっそり魔女の学校も、高度な技術と頭脳に、薬草の作り方さえあれば、万が一にもなれるかも。じゃあ、探してみようと遣っているが、中々難しいことでもある。はて?呪文がね。

 雨に濡れた庭に、薔薇の花とドクダミの、芍薬の白が際立つ。緑の瑞々しさに、何と言う清々しさだろう。そのうちに、霞草と銀梅花も咲き出すのだ。枇杷葉の実が一粒だけ、袋を掛け忘れて見える。未だ、青くて硬いので口には出来ぬが、日に日に熟れて行く。愉しみであり、心が躍り弾む待遠しさ。

 室内の出窓で、どんどん増えていく。挿し芽をしたら、ちゃんとついて花も咲く。名前は忘れた。

コメント
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