枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

台風が接近・・・

2018年06月10日 | Weblog

 台風である。それも既に5号と言う。この蒸し々した天気に、不快感が増す。日曜日の昼食作りをするのに、魚の餡掛けを考える。出汁と砂糖と、料理酒に醤油である。そこに玉葱とアスパラガスを微塵切りにして入れる。これに片栗粉を混ぜて出来上がりだ。初めてにしては、美味しくできた。

 夕方になって雨粒が落ちだす。洗濯物が乾かないのに、次から次と洗濯物が出る。排泄の有無も分からない、何だか悲しくなってしまう。施設に居ると、時間が止まったようで、何もしなくなるからだ。テレビにばかり顔が向いて、流れる映像を見ている。内容が分かるのでも、聞いているのでも。

 自分の生き方を、きちんとしていても、仕事を辞めてしまったら、認知症状が出るのだろうか?自分らしさにも多々あるのだろうが、信念を変えないことも大切だ。頑固と言うか、他人と同じのは厭でもある。不平を言いつつ、我慢をしたくもない。やっと手に入れた自由を堪能、満喫したいもの。

 例年、施設のイベントを思うが、惰性で行っているようで、新鮮味に欠けるのが気になる。ご褒美をあげますから、参加してください。ってのが厭だ。そこら辺にある安価な物で誤魔化し、皆同じようなピースサインをして、カメラに収まる。それからして気に入らぬ。何でそういった画一的な顔で。

 怒ったような顔も、困ったような顔で、ちょっとはにかんだ格好では、何故拙いのだろう。笑顔でないと写さない。笑顔でないと載せられない。それは職員の都合勝手で、どんな姿でも、それがその方の現在である。服を褒めるのも、可愛い等莫迦にしている。言葉は様々にあり、言い表すのも多彩だ。

 ヒューマンライフ。意外と、自分達の生活は、見えていないものだと分かる。生きることには、他人様の入り込む余地もない、漠然としたものだけ。ヨーコさんの言葉には、クスリと笑える愉しさがあり、じんとする言葉もある。涙が堤防を越えて、ナイアガラになることも、氷点下の厳しさに落下も。

 本は愉しい。絵本も面白い。活字の並び方で、どうしてこんなに違うのか?哀しみにも、嘆きにも、胸が詰まって苦しいのも、温かくなり、冷ややかにもなる。書籍の真実に我に返りつつ、唖然とすることも。何度も繰り返して読めることもうれしい。自分を失わず、それでいて異世界を探検できるのだ。

 長崎茂木の下にあるスズラン。こちらは南向きなので、ちょっとばかり早く咲いてくる。

 

コメント
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