二十四節気 夏至 太陽が黄道の、北端を通る日なので、北半球では、一年中で最も昼の長い日である。暑気も激しくなる。毎年、六月二十一日頃である。天気の不安定さは、梅雨時なのだからだが、雨量の心配も尽きず、思わず天を見上げてしまう。今年は夏が短いと言われる。既に冷房は効き過ぎ。
夏の期間、身体は暑さに慣れていかないと、体力も気力も萎えてしまうが、便利さで我慢を忘れると、直ぐに冷房を点ける。23℃や24℃に、今からしていたら耐えられない。無茶苦茶をするものだ。ちょっと暑いくらいを辛抱するのも、大切な事だ。それなのに更に、冷たい飲み物を出すのは疑問だ。
枇杷葉の実も、白枇杷とフェンスの所の長崎茂木になった。サンタさんのとりささんのは、1袋が熟れない。今朝も、未だ色が薄いので、掛け直しておいた。今月の末から来月にかけての収穫かな?同じように陽当たりするのに、北側になるので寒いからか。毎年、ちょっと遅めの収穫になる。日照不足。
枇杷葉を送らせてもらったが、何れも甘さに絶賛。市販品の比ではない、と確信している。我が家の枇杷葉の味は、何処にも劣らない。商売ではないので、数が少ない。加えて自然に任せているので、その年にならないと分からない。大きさも市販品より小さめで、食べるのに手間が必要となる。無農薬。
癌の治療にも、効果の程は大きいと思っている。身体中の細胞が日々新しくなっていく。自分の身体なのに、脱皮するのがよく分かる。角質の剥がれも、血液の浄化も著しいもの。人間は、自然との共生で生かされているのを、認識して感謝することを忘れない。無欲であらねばと思うが、未だ其処迄には。
悟りを啓くのは、一生かかっても無理な気がする。そろそろ夏椿・沙羅の花が咲き出すが、誰しもがお釈迦さまの教えに、他人の幸せまでも願えれるものだろうか。他人と比べて、自分には足らないことばかりを、あげつらう。充分なものを持っていても、気づかずに不平不満だらけで、死ぬまで嘘ばかり。
木村秋則さんのように、精一杯の一日を生きる方も居れば、無い物ねだりをするだけの者も、自分では苦労せず、棚ぼたの分け前を待つ者も。何れも同じ時間、同じ一日だ。でも苦労を厭わず、なにがしかを研究し、知恵と勇気のある人間になりたい。誰にも認めてもらえずとも、後悔する人生は厭である。
昨年は、大量に蕾をつけ、次々と咲いた深紅の薔薇だが、今年は、挿し芽の分だけに。