例年の入梅であるが、今年は早くからの天候不順と、温度差が激しく、不快指数も多い時期となった。休日の過ごし方にも、晴耕雨読に徹しているが、枇杷葉の熟れるのが待たれる。色づきはしているし、送る分にはいいとも思うが、甘さはどうだろうか?雨量の多い年には心配が増える。
天気を見ながらドクダミを摘む。段ボールを広げ、新聞紙を重ねて、その上にドクダミを切っていく。乾燥したら、ちょっと移動させ、これを繰り返していく。すばるが手伝ってくれるのはいいが、はみ出してしまう。うれしそうに遣っているのは、未だ子どもに値するからだ。片付けが。
用事で出かける時には、ちゃんと言わないといけない。一人で留守番をするのが淋しいらしく、帰宅すると拗ねている。加えて甘えん坊になる。膝に乗り、足に縺れ、歩行を妨げるのに困る。仕事に行く日は分るのか、黙って見送るが、服装で見分けているようだ。賢いのである。感心する。
銀河もだが、すばるも涼しい場所は良く知っている。人間は、機械で温度を調整するが、猫は本能で判断する。飼い主が、自然に暮らしていると、猫も賢く対応する。どうやったら体を涼しくできるかを、実行しているのも微笑ましい。出窓も網戸にしたり、換気扇で空気を入れ替えたりする。
留守中に、野良猫や不審者が来たりするのが怖い。泥棒が来ても、本ばっかりだから、持って行く物もない。個人的には、それらの書籍の方が、宝石よりも大事なのであるからだ。ダイアモンドは金銭的に価値があっても、宇宙の輝きは広くて深い。この世の始まりと終わりがあり、神秘的だ。
我が家の庭にも、小さな宇宙が存在する。わたくし自身にも、見えないけれども持っている。ちょっと変わった者が視れば分ることも、無意識だと観えないのかもしれない。自然への畏怖の気持ちや、小さな物にも命を感じていれば、風や雲の動きに遇わせて知ることもある。摩訶不思議が。
薔薇の挿し芽と、紫陽花が付いただろうか?昨年の時期には、大輪の花を咲かせた深紅の薔薇が枯れて、今年は新芽さえ出てこない。枝を動かさないでいたら、咲いていたものか?鉢植えにしているのは、蕾が付いて咲いたが、肥料の遣り過ぎかもしれない。命は芽生えて消えて行くのが当然。
毎年、花が咲いて実が熟れる。今年も、青い実がたくさん付いている。ヒヨドリが狙っている。