枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

どうなったのか?

2019年01月05日 | Weblog

 画面がね、変わっちゃったのよ。どうしたんだろうねぇ・・・古いハードデスクは、作動して、やっと作業が可能になったと思ったら、途中でまたまた凍ってしまうし。なんなんだろう?機会オンチのこちらには、何をどうしたらいいのかが、理解不能なのに、よくもまあ、次から次へと予測できないことが起こるもの。以前観たことのある、ファイア・スターターの大人版を探していたら、変わってしまった。

 人間の生命への持続には、気力が欠かせない。精神的なダメージが大きければそれだけ、回復には戸惑る。そういったことへの対応に、枇杷葉を用いてほしいのだが、直ぐ医者に罹ってしまう。触って感じられれば、分かることもあるのに、手術をしてしまう。亡くなった後に、どうして教えてくれなかったのよ、何でもっと説得してくれなかったの、と詰ったり、責めるが、通じない時には話せないでしょう。

 何よりも、自然からの恩恵に依って、治せることを信じないと、こればっかりはどうすることも。体内に、皆、癌細胞は持っているのだが、自分の身体の一部を、切って取るか、仲良く共存させていくかにかかる。少しくらいの体調の変化では、医者に等罹らないし、日数さえあれば自力で治せる。根気と持続とで、必ず回復していくものだ。焦らない、諦めないことと、自分を信じて生きることも重要でもある。

 幽体離脱をしたり、視えないものが見えたり、聴こえたりをしていると、日常のことは疎くなる。誰のためでもなく、神に生かされている自分を知る。妖でも、幻でも、そこにあることが真実なのだ。非現実と言われるかもしれないが、嘘でもなんでもない。キャリーのように、サイコキネシスでも、チャリーの操る発火燃焼でもない。人間としての姿をしながら、生きて行かねばならない、ジョン・コーヒィも。

 介護の仕事をしていると、そういった心の動きが、手に取るように伝わることがある。押すのでも、読むのでもなく、入り込んでくる感情でもある。とても不思議だが、身体の方が先に動く。四六時中は非常に疲れるので、気持ちを緩めてしまうが、一日の勤務を終えたら、流石にぐったりしてしまう。自宅に居る時には、バリアーがあるので、安全圏を出ないようにしている。出不精も、そういったことが一因。

 我が家に来て、半年は経ったが、日増しに悪戯が・・・でも、甘えん坊でもある。左腕に吸い付いてきて、チュウチュウ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする