二十四節気 大寒 万物を凍らせる、と言われるほど、厳しい寒さを迎えるので、大寒と言う。毎年、一月二十日頃である。昨夜からの雨で、温かな朝である。以前には、雪が降って居たり、樹氷も見られ、つららがぶら下がっていた。子どもの頃には、そういう自然の様が面白くて、野山を駆け回っていた。無論のこと、靴は濡れ、手足は霜焼、親からの小言。
現代では、冬の一番条件の良い時期に、寒いからと天体観測を中止にし、家でゲームをぬくぬくとする。物は溢れ、金さえあれば何でも手に入る時代。でも、やさしさも愛も、お金では買えない。物体としては見えるが、その実は、空虚な抜け殻のような気がする。蓄えられる者にとっては、頭を使えばいいこと。嘘八百を並べても、何等証拠が見当たらないの。
人間として、生かされていることへの感謝や、自然への畏怖は、一体何処に置き去ったのか知れない。そのこと自体にも気づかない。なんだろうなぁ・・・考えたり、悩んだりしてこそ、答えが見つかることも、前に進んで行くことにもなる。楽しく可笑しく、一日が過ぎればいいのかもしれない。人は支え合っているが、基本は一人で産まれ、死んでいくよ。
リエさんから、出来上がった絵本が届き、kazu君の留学先に行った、お土産が届いた。丁度、寒中の花芽を採っていたのを送っていたが、帰国した直後だったらしい。個人的には、時差や言葉、食べ物に馴染めないので、日本国内で好いとは思っている。自然の物を、シンプルに調理してこそ、素材を活かせるもの。大根や人参の皮を剥くのは、粕を摂取してる。
本日の昼食メニューは、野菜の餡かけ・ほうれん草と豚肉のスープ・果物であったが、急遽足らないと言うことで、大根のフレーク煮を作る。大量な分量であり、食べ切れないかと心配したが、何と言うことなく無くなった。豚肉は肩ロースを2枚づつで、ほうれん草とよく合うの。
味付けと言うか、調味料は塩だけで、ほうれん草の甘みと、肉の汁が絡まる。旬の物を使うので、素材を大切にして、シンプルなのが一番美味しい。これを、サラダ油で炒めるとは・・・断固阻止し味見をさせたら感心している。ちょっとした思い付きではあるが、美味しければ好い。
激務を終えて帰宅。すばるの安心しきった姿に、ほっとしながら夕食を戴く。誰かのために作るのは、そろそろ止めにしたいが、あの笑顔や態度に、作ってよかったと思ってしまう。単純な性格なので。珈琲も、季節限定ので淹れたりで、味に気づいてくれるのがうれしい。内心微笑む。
我が家に来て、やっと半年経った。馴れてきたのもあって、写真で撮っても隠れなくなった。