枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

寒中にすること

2019年01月12日 | Weblog

 先日に採っていた花芽を、お茶パックに詰めて、冷凍庫に仕舞う。白枇杷がたくさんあり、リエさんに除ける。ほのかな香りが漂って、心地好さが堪らない。花芽茶は、育っていけば実になるもので、この中に種も含まれる。エネルギーが詰まっているのだから、効果も素晴らしい。何度も煎じて使うが、寒中の水で鮮やかになる。弱火でじっくり煎じる。

 寒中の行事には、味噌作りもある。或いは、寒干しにも適している。夏の時期よりも、寒さの方が気持ちがしゃきっとする。古の人々の知恵には、湿気から様々な物を守ろうとする工夫がみえる。書物も、高価であった時代、借りて読むだけでなく、丁寧に写しおいたのだ。パソコンなんて無い頃に、思いついた者は素晴しいが、手間たるや卒倒しそうに。

 祖母が、餅搗きの用意をし始めると、何かしら期待するところがあって、一臼は白い餅だが、砂糖を混ぜると、歓声を上げた。凍り餅である。豆を入れたりは好きでなかったが、冬の保存食でもあり、春先まで楽しめる。或いは、花餅にしてくれて、梔子や色粉で彩どっていく。祖母は手先の器用な人であり、センスもあったので、たちまち花畑が出来た。

 今は、餅を搗くことさえしなくなり、買えば済む時代だ。子ども頃にしてもらったことは、鮮やかに記憶していても、実行する道具も失せた。揃えるとなると、高額な物になり、それを受け継ぐ者もいなくなった。あの絶妙の甘さや、包丁で切り目を入れて、指先で捻ったり、曲げたりの技に、懐かしさを偲ぶだけだ。日本の伝統遺産は、日々消えていく。

 昨夜、すばるが蒲団を何回も抜け出すので、雨かなと思っていたら、朝アスファルトが濡れていた。自宅を出る時にも、ぐずついた天気で、雪になりそうにもない。東北は大雪らしいが、雪女の出番も必要なの。知人の子どもさんが通う野外授業に、天体観測があったのが、冬は寒いからと中止になったらしい。もお仰天である。子どもよりも親の怠慢です。

 自然の厳しさを知り、星の位置を理解し、何かの時に役立てることには、思いが至らないのに唖然とした。ばっかじゃない。世間の常識を超えた浅はかさに、言葉も出なかった。でも、そういう親に限って、災害に遭えば、我先にと文句を言う。損をすることには黙っていない。こういう輩は、風の色にも、水の音にも、雨の匂いにも疎い。贅沢で不幸なこと。

 わたくしは、貧乏だが、心は豊かでありたいと願う。星を眺め、天変地異を知り、森羅万象の出来事に感謝する。その何れもが、生きていく上で、なくてはならない現象でもある。祈りと感謝の真摯な気持ちさえあれば、いいのかもしれない。神の教えというのは、聖書に書かれているだけでもないだろう。持っているから惜しくなる。惜しい物は持たない。

 枇杷葉の育っていくのもまちまち。フェンスの側で、ちょっとづつ育っていくのもある。

 

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