前回、足湯で好かったのか、それとも手当てがいいのか、訪問者がやって来た。昼食を出して珈琲を挽いて淹れ、ナルニア国物語を観ながら、手当てを行う。ストーブの上で枇杷湯を沸かし、両足を塩で擦る。仕上げには枇杷葉ローションを塗る。お八つ持参で来る処は、常識がある娘さん。
本日の予定は、枇杷葉の剪定と、寒肥入れである。DVDを観ている間に済ませ、室内に入る。枇杷葉茶も、それなりに作っておかねば、いざという時に困る。備えあれば憂いなしを実行。今年の結実ははっきりとはしないが、花芽のない枝を見ながら伐る。花芽茶もたくさんできて満足する。
ローションも作っておかねばならず、白枇杷の花芽を残しておく。なんだかんだと用事が多いが、誰も当てにはできない。却って頼めば更なる混乱を招いてしまう。こつこつと気長に遣っていくしかない。時間は、24時間あるのだから、一つづつでいいのだ。この歳になっては焦るまいと思う。
自律神経失調症の症状が、枇杷葉茶を飲むことに由って改善されるが、医学的な見解ではないので、本人の気持ち次第だ。それでも、飲まないよりはいいのではないかと、奨めるには、神経を和らげて、気持ちを落ち着かせ、暗澹たる悲観に陥らせない。わたくしもそうであったから判るのだ。
精神的に追い詰められて、悪夢にうなされ、汗びっしょりになってしまう。金縛りは無論のこと、誰もが自分を責めていると思い、生きているのも厭に、絶望しかなかった。相談する気にもならず、一人で抱えて背中を向けていた。唯一、書籍が支えであったが、枇杷葉に援けられたのも事実。
人間として、生きている価値を問われると、金もなく地位もないが、自然を敬い信じていれば、そのこと事態が素晴らしい。わたくしは私であり、他の誰でもない自分です。自然に身を任せていると、判って来ることも多い。それでいいのだと、自分に言い聴かせて、そこからぶれないことかな。
友人は、枇杷葉のお陰が分からないのか、感謝の気持ちが薄い。それでは症状は改善されないのだが、それもまた仕方がないことで、自分で気づかねば治らない。何をしても、お金を掛けても、根本の心には届かないものだ。枇杷葉に祈り、感謝することで自然治癒力も働く。信じる気持ちも有。
植え替えてみたものの、鉢植えなのがまずかったのか、育ちが一向に進まない。枯れないで。