二十四節気 小寒 陰気深く、寒冷一段と厳しくなるので、小寒と言う。毎年、一月六日頃である。俗にこの日を、寒の入りと言う。雨模様のためか、気温が高く暖かい。有り難いことと思い、塩換えをを行う。何やかやとすることも多く、旧暦の師走を過ごしている。枇杷葉も二回目になる剪定を行う予定で、空を見上げている。図書館にも返却に行かねば、予約も入れよう。
すばるのトイレを換えてやる。きれいにしたら、うれしそうに寄って来るが、掃除機を使い始めた途端に、慌てふためいて逃げる。猫って、何処のも同じなんだろうか?あの機械音が嫌いなのか、飼い主が遣っていることに不満なのか?衣類も、余所行きが多くなって、出掛けない分が箪笥を占める。思い切って出して着た。余命も不明だが、誰も貰い手もなく普段に着ることに。
いい物を、大切に着ようと買っているが、流行には遠く、シンプルなので敬遠される。でも、純毛だし温かいし、捨てられない。同時に、ネットで売る気にもならない。不安を抱えてなら、自分で着ておけばいいのだ。クリーニング代も要るが、寒がりには丁度好い。陽射しが射して来て暖かい。年賀状も来たのには、出しておかねば、と気が重い。来年からは止めることにする。
枇杷葉の花芽も、結実に入ったのや、満開のと多々あるが、寒中の時期には、お茶葉作りに精出そう。焼酎に漬けるのもしておき、腰痛予防への保存も大切。林檎農家さんには、約束したので箱に詰めよう。皆、手間暇を惜しんで、病気に罹るよりは好いと思えるが、来世のことは不安定なものだ。予期せぬ事態に陥ることは少なくない。それでも生かされていることに感謝して。
沢田研二さんのコンサートの前日に、大規模な水の被害が発生した。今尚復旧には遠く、自治体だけでは無理なことも多い。一番の拠り所は、気持ちの問題が占めるが、人間の複雑な痛手には、薬が効かない。時間をかけ、ゆっくりと治すしかない。わたくしに出来ることには、祈りオーラを飛ばすことかもしれない。どうか心を失わずに、諦めずに進んでほしいと願い祈る日々。
樹木希林さんの著作のように、面白がって愉しみ、何も求めず、生かされていることに感謝をしていれば、嘆願成就も可能かもしれない。人は各々に使命がある。自分の科せられたそれを、少しでも達成できればと願う。簡単なことのようで、難しさも感じる。目立たず控えめにして、目的を行うことは神に諭されること。何もかも行うのではなく、自分に科せられた使命ならば。
枇杷葉も、秋口からは、あちこちで苞の膨らみが確認でき出す。思わず、顔がほころぶ。やさしい香りを待ちつつ。