江戸時代の冬には、火事が多かったらしい。今も変わりないが、寒さに暖を取るのに、煮炊きに、火は欠かせなかった。ちょっと離れるにも、焚口を注意していないと、落下することもあるからだ。炭を熾すのも、手間暇が掛かるので、火の用心には事欠かなかった。子どもの頃にも、風呂の焚口は、充分な配慮をしていた。必ず、水をかけて火を落としていたもの。
炬燵も、練炭や豆炭を入れることもあるが、風呂の残り火や炭を使い灰で覆って保たせる。寒さに震える夜半等、トイレに起きなければならないと、身体が冷え切って朝まで眠れない。これで湯たんぽもあったが、これは滅多に使わせて貰えない。水が貴重品であった。水道事業が、民間に委託されると、満足な物が飲めなくなる。井戸水は、冬には温かくやわらかい。
寒中の水は、冷暗所での保存でなくても、温度差の余りない場所でなら、意外と保ちが良い。これで珈琲を淹れるが、何ともまろやかな風味に驚く。珈琲が好いのもあるが、一番は水だろう。自宅で、豆を挽いて淹れる時間は最高だ。流石に冬には冷たいのは避けるが、夏場なら美味しいのにびっくりする。水も、夏場には透き通る爽やかさがあって、咽喉越しが好い。
Aさんちのは井戸水で、何とも味がいいのに、ずっと貰いに行っている。自然からの恩恵に、祈り感謝する心を持てるのは、とても有り難い。の風や雨に季節の訪れがあるように、水にもちゃんと四季がある。茶事にははっきりと顕れ、お抹茶の解け方も違う。勤務先でするのは、相当に疲労困憊顕れした時や、お正月くらいだ。水が大切な命の元であることに感嘆す。
若い者でなくても、茶事を習っていなくても、そういった基本的な心を持ちあわせていれば、何気ない変化にも応じれる。それこそ、ノアの箱舟でしょう。神さまは択ぶときに、何を基準にしたのか?愚直なこと、神を信じ崇める純粋さや、心が揺らがないことも、きっと条件にはあったのだと思える。誹謗中傷にも黙々と鑿を使って、舟を築かねばならないのだから。
青天の小春日和に感謝し、敷き蒲団だけを干す。暖房を点けていれば、乾くのだろうが、生憎とパソコンの部屋だけなので、夏場のようにはいかない。夏場には、28℃で点けておけば、温度差も少なく、家中が心地好い。電気代も余り要らないと言うので、凌ぎ易さの頃までやっている。現在、20℃あるが、特に寒いとは思えない。膝掛も毛布だし、すばるも居るので。
今年の冬の宙には、彗星が観えている。日々変化する夜空には、観厭きることもなく、未知との遭遇もある。