枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

討ち入り決断・・・

2019年01月18日 | Weblog

 大石内蔵助の心中や易かばかりであったろう。主君の仇討ちに、浪士の立場に、人間としての思案に。複雑な想いが交差しており、息子の力を残しておきたい父親の心情もあったことと察する。元服を延ばしのばしにしていたのも、際まで苦しんでのことだろうと。既に、浪士の気持ちも、糧も限度を極めていた。

 直前までの決断には、独りでなら迷いもなかったろう。四十七士の心も、疑いや心離れに転じる。人の上に立つということは、己を主張することでなく、部下を思い遣り、その家族のそのことにも及ぶのだ。昼行燈と陰口を叩かれ乍らも、吉良上野介への、浅野内匠頭の無念さを思う毎に、更なる複雑さを含んで。

 旧暦の煤払いです。その煤払いを終えて、茶会を催そうとした上野介にとって、新年を心穏やかに迎えたく思う気持ちには、始終暗殺の影に怯え、隠れ住む者の哀れさもある。田舎侍に、不手際を教えてやっただけで、まさか殿中で切りつけられるとは。さぞや驚いたことだろう。人間、時代は変わっても一寸先は。

 職場の子が、枇杷葉の手当てに来ると言うので、朝から掃除や片付けに追われる。足湯の用意と、握り鮨の準備をして待つ。寒いのでストーブも点け、時間が余ったので、ブログの更新をしている。誰かがおいでになるというのは、気も引き締まり、考えるので惚けも減るようだ。生きていく糧にも繋がって行く。

 早朝に、玄関のチャイムを鳴らすが、蒲団の中にて出られない。起きて暫くして、今月の塵当番だと、塵取りやバケツが置いてあった。団地の中でも、当番をさぼる者も居て、役員さんは大変らしい。我が家では、生ごみは堆肥にしているので、枇杷葉の根元に施すが、自然の菌が繁殖して臭わない。不思議だなぁ。

 丁度正午に、手当てを施行する子が着く。鮨の準備も終えていたので、早速に握って食べさす。2合がジャストであった。少し硬めに水加減をしたのも良くて、ばらけず、手につかずであった。三時のお八つ持参の好い子である。職場の愚痴も出るが、他所に漏れなく喋らないので、安心している。手当ても同様で。

 足湯を施行してみれば、踵のざらつきが消えた。そこに枇杷葉ローションを塗り、二回目の湯が沸くまで、ナルニア国物語・カスピアン王子の角笛を、夢中になって観ている。足はポカポカ気持ちよく、軽くなったようで笑顔。肩の凝りもほぐして、やれやれである。その後事例検討に行った。

 事例検討出席。様々な支援はやっているが、基本的な事は薬かも知れない。90近くなって、余命も何もないのだ。認知症状での行動と言えばそれまでだが、薬の一因は外せない。できれば止めれば好いと思っている。害のある物を、大量に呑ませていい筈がないのよ。自然の力を借りるのが、高齢者に取って最善。

 小さく丸まって、びくついていたのが、やっと伸び伸びとし始めた。でも、悪戯は手加減なし。

コメント
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