旧暦でのお正月が近く、お隣の国では祭り気分か?と思いきや、何と、海外へと娯楽に出掛けるらしい。まあ景気がいいのは、日本で経験済みであるから判る。それにしても暮らし向きの変化も、一気に貧困差をはじき出した。戦争に因って、文化も教育も、況してや心までも激変した。
然し、憲法で謳われているように、戦争へと向かわない世の中を持続したい。改憲等以ての外だ。女性には辛く惨めな想いしか残らない。殺すために産んでいた、あの時代に逆戻りをさせてはならない。祖母の哀しみを知ってからは、一時の迷いでは堪えられない。原発にも同じ想いが。
人間・人類の虚栄でしかない。それも私利私欲の塊で、核爆弾やミサイルを、機械を操って行う。命など何とも考えずで、況してや小さな生き物に等、どこ吹く風であろうか。でも、そういった微生物の集まりが、人間を支え、育って行って口に入る。ゼロからでは人類は何も作れない。
枇杷葉茶を作るのに、3連休にしているが、同僚との食事を予定していて、鮨を食べに行った。酢飯の大きさは、我が家の3分の1である。ねたが酢飯を覆っている。見た目はいいのだが、どうにも腹一杯という気分が薄い。よくよく考えてみたら、手間暇で作り、持参で元は取れない。
リエさんの所に行った時、鮨屋に入ったことがあるが、ネタも良かったし、量も可なりで旨かった。よし、もっと修業をしよう。でも時々は、誰かが作ってくれないものか、とも思うわね。まあ、お調子者なので煽てに弱く、ついその気になって作る。ピザは窯がないので作れませんよ。
人生100年も要りません。80歳くらいが丁度好い。そうしてみると、十数年で終わる。それなりに悲喜こもごもの年輪が出来、頃合いを見計らって逝くのもいい。四季の衣類と、書籍があれば好いので、そこからの生き方は、自分のためでいいかもしれない。もうちょっとだけ遣ろう。
病を避け、年齢を潔く生きていければ、それだけで有り難いこと。何が必要かは、天に任せておけばいい。雨が降れば読書に、天気であれば庭を探索して。他人の迷惑にならぬように、欲しがらず、充てにせずでいこう。身体があれば、可能なことは多くある。何事にも祈りと感謝の心。
百日紅。夏の間中を咲き、晩秋までも彩どりを失わない。我が家には、白と薄紫、紫がある。