今朝すばるに付き合って喉を撫でたりしていたら、そのまま二度寝になってしまう。起きたらAM9時だった。その後は何時もの家事に勤しむ。基本、独りなので誰にも文句は言われないが、遣ることも自分でしなければならずで。洗濯機を回し珈琲を挽いて淹れ、新聞を読んでいくがため息の連続と、記事の内容に厭きれるばかりを知る。山下さん、金メダルが泣くよ。
庭のクリスマスローズも蕾や開花に賑やかだし、梅も強風に耐えて咲いている。ビオラの花殻を摘み枇杷葉の枝も手折り、花芽がやっと咲きだした西側のを採っておく。花瓶のを挿し換えて花芽茶にするべく、お茶パックに詰めた。これは直ぐに冷凍庫に容れておかないと虫が入るので注意だ。花が咲いている時点で伐ったのも、飾っておくと咲いて枯れるのを詰めて。
で。台所のテーブルで作業をしていると、すばるが匂うのかやって来る。眼を閉じて擦り寄って来るのだが、マタタビでもないだろうに?と見ていた。キウィには、マタタビと同様の匂いがあるらしく猫の溜まり場は知っている。花瓶をひっくり返すよりは良いかと諦める飼い主。デジカメでの庭の様子も添付は依然として進まないが、撮影だけはしておこうと悪戦苦闘。
天気が下り坂に向いているのか、青空が曇に転じてしまった。さて、本日の予定はないので文庫本を読まねば。足湯も勤務の関係上、連続であったり間が極端に空いたりする。わたくしとて生きているので、パワー不足では対応は出来ません。枇杷葉に触れて分けて貰うことで復活。この処、蒟蒻を温めて当てていたから体調はいいが、用心に越したことはないのです。
何時か、枇杷葉の手当方法をテレビで観たと知人が話していたが、使い捨てカイロを蒟蒻の換わりにするとか。これは冷やさないようには良いのですが、懐炉では毒素を吸い出してはくれません。枇杷葉の生葉を置くのも、温圧療法としての効果かあるからで役目を果たすのです。蒟蒻をスライスして使用するというのにもびっくり!使っている内に小さくなるのです。
便利で簡単な使用方法には、必ず落とし穴が待ち受けているので工夫はしても遣り方はそのままで。鍋も、煮炊きをするのと治療に使うのとは別がいいでしょう。蒟蒻を何度も温めてのことに、小さく薄くなったら捨てればいい。また夏場には毒素が入ることで、放置していたら直ぐに腐ってしまう。あらゆることの使用方法には、天に地に還すという感謝の想いが。
身体は生ものですから、年齢を重ねていけば故障も起きるし停止してしまうこともある。命が何時までと判るなら、それまでを計画的にすればいいが、そういった想いには至らないものである。病になれば慌てふためいてしまうが命があることの感謝と、そこからの生き方を変えればいい。わたくしも思うさまの生き方を改め、誰かの役に立つならと想えるように。
庭のクリスマスローズも蕾や開花に賑やかだし、梅も強風に耐えて咲いている。ビオラの花殻を摘み枇杷葉の枝も手折り、花芽がやっと咲きだした西側のを採っておく。花瓶のを挿し換えて花芽茶にするべく、お茶パックに詰めた。これは直ぐに冷凍庫に容れておかないと虫が入るので注意だ。花が咲いている時点で伐ったのも、飾っておくと咲いて枯れるのを詰めて。
で。台所のテーブルで作業をしていると、すばるが匂うのかやって来る。眼を閉じて擦り寄って来るのだが、マタタビでもないだろうに?と見ていた。キウィには、マタタビと同様の匂いがあるらしく猫の溜まり場は知っている。花瓶をひっくり返すよりは良いかと諦める飼い主。デジカメでの庭の様子も添付は依然として進まないが、撮影だけはしておこうと悪戦苦闘。
天気が下り坂に向いているのか、青空が曇に転じてしまった。さて、本日の予定はないので文庫本を読まねば。足湯も勤務の関係上、連続であったり間が極端に空いたりする。わたくしとて生きているので、パワー不足では対応は出来ません。枇杷葉に触れて分けて貰うことで復活。この処、蒟蒻を温めて当てていたから体調はいいが、用心に越したことはないのです。
何時か、枇杷葉の手当方法をテレビで観たと知人が話していたが、使い捨てカイロを蒟蒻の換わりにするとか。これは冷やさないようには良いのですが、懐炉では毒素を吸い出してはくれません。枇杷葉の生葉を置くのも、温圧療法としての効果かあるからで役目を果たすのです。蒟蒻をスライスして使用するというのにもびっくり!使っている内に小さくなるのです。
便利で簡単な使用方法には、必ず落とし穴が待ち受けているので工夫はしても遣り方はそのままで。鍋も、煮炊きをするのと治療に使うのとは別がいいでしょう。蒟蒻を何度も温めてのことに、小さく薄くなったら捨てればいい。また夏場には毒素が入ることで、放置していたら直ぐに腐ってしまう。あらゆることの使用方法には、天に地に還すという感謝の想いが。
身体は生ものですから、年齢を重ねていけば故障も起きるし停止してしまうこともある。命が何時までと判るなら、それまでを計画的にすればいいが、そういった想いには至らないものである。病になれば慌てふためいてしまうが命があることの感謝と、そこからの生き方を変えればいい。わたくしも思うさまの生き方を改め、誰かの役に立つならと想えるように。