枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

桜がちらほらと・・・

2021年03月18日 | Weblog
 弁当配達時に河を下り上がるのだが、消防署の側にある古木の桜が咲き始めていた。梅はすっかり散っており、ミモザも終わりに近い状態である。沿岸に植えられた桜の並木は未だ蕾は固く、気温の上昇を待っている様子だ。椿の赤いのも葉の緑に引き合うかのように咲き、水仙と木蓮の白さが際立っている。我が家のは未だ蕾が見えるばかりで霜にやられて案じている。

 駐車場の草を抜いていたら、芽吹き始めたドクダミがそろそろと勢いを増してきている。今朝は冬季には干さなかった布団を広げ、すばるの居場所のも出してやる。出窓に居るから好いかと飼い主はしているのに、にゃんと怪訝そうに見ているではないか。これこそ猫の手も借りたい、とぼやきつつ行う。世間は、コロナ宣言も解除の向きがあるが、二階からの指示かな?

 フランク・ハーバードの、デューン砂の惑星。新作がお目見えと言うが、あれは古典での映像が良かったのであり、最新のテクノロジーとかではリアルさは出ても、余りにも度肝を抜かれる喜来が大きいとも思える。デビット・リンチ監督の秘蔵っ子、と云われるカイル・マクラクカンであるから好いのよ。キャリーもそうだが、主演女優や脇役の配置や内容にも落差が。

 アランドロンもショーン・コネリーにしても、役に徹する心意気が好い。役者の魅力を惹き出し且つ、演技力以上の力を発揮させる腕も必要だ。人間が古いのだろうなぁ…。芸術は年代が経っても心に残るし、繰り返し観て愉しめるのが好いけど、原発の杜撰な管理は何があっても認められないことだ。こんないい加減さの政権が早十年から続いていることに恐怖感を抱く。

 福島での事故で、原発が全基停止していた時、電気の普及量には何等問題はなく生活できた。それを出来なかったように取り繕い嘘で固めた文章を提出して、再稼働へと持ち込んでいった。前政権の時にはオリンピックが誘致できればいいと、国のトップがコントロールは安全であるとまで公言した。それもマリオ姿で登場。滑稽を描いたような嘘八百の世界への恥晒し。

 小出裕章さんが書かれている、フクシマ事故と東京オリンピックに詳しい。萩尾望都さんのコミック なのはな 今関あきよしさんの映画(現時点ではDVD)カリーナのりんごも胸を打つ作品。堀切リエさんによる絵本も、こどもの未来社から出版されている。わたくしには何が出来るのだろう?声を上げていくのも、その時だけではなく常に心掛けて生きたいもの。

 宇宙を眺めていられることも、小さなことへの積み重ねで存在していることを気づかせてくれる。地球に棲む凡ての物への命が宿ることに、それに由って人間は援けられ生かされていることを想おう。風が吹けば花木の種が飛び、下りた場所で新しい命を作るのだ。雨が降って芽を出し、人間の心を慰め或いは見返ることすらされなくても。自然からの恩恵に人間は傲慢。

 それに気づけるわたくしでありたい。他人のことを先ず考えられる者でもあろう。食べ物も旬の物を感謝して戴き、四季折々の祈りへ続けたい。足元や天にも眼を向け、自分の存在への感謝を忘れないでおこう。神さまが与えてくれた命での使命に、今後も弛まぬ努力を怠るまい。クリスマスローズの花で、茎が伸びた先に沢山の花が咲いた。タグを無くして名前は不明。

 
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする