枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

世間は花見に

2021年03月25日 | Weblog
 今朝は夕方からの雨で肌寒いが、桜は満開に近い状態であるのを弁当配達時に眺めていく。田舎の事情ではそこら中が桜で埋まるので、わざわざと言う程のこともなく花見ができる。仕事を辞めた関係上、誘いは来ないと思っていたら、足湯に来る娘さんから声が掛かる。今週が見頃となるが、そこでは菜の花を見に行くらしいので再来週計画。まあ、八重桜もあることだし花見は可能。自粛も好いが庶民の鬱屈を祓えることも大切。

 閣僚の嘘と誤魔化しが次第に厭きてくるばかりだが、ここまでの忖度も自分都合と言う前例を作っている。それにしても報道関係者は突っ込みが甘く、疑問等を抱かないのかが不思議な気がしてくる。これは間違っていることだが、閣僚のしてはならない基準なのを何故平気で行うの?文春号砲でばれたら開き直るのにも愕然とする。国民のと言うよりも庶民が困っていようが死んでいようとも、自分の懐だけが潤えばいいのかもな。

 二階から指示を出す者やあっそう等言うだけの者も居て、庶民の血税だけは多額であろうが受け取っているのも謎。一体どんな仕事を庶民の為にしてくれているのか?わたくしにはとんと理解不能なことである。でも、一体誰がゐれたのだろう。地元の連中でさえ恥は知っているだろうにとも思うが、庇うばかりの能天気だ。でも、原発は再稼働なし!最近の地震状況では油断するも何も、事故への可能性は広がっていくばかりです。

 海棠がちらほらと咲いてきている。一昨日場所も移動しているので、鉢物も雨と気温に満足かな?通草が、頗る勢い良くて何処までも伸びていく。小さな房も数えれない程に見えていてうれしくなる。クリスマスローズも、咲かなかったのも含めて新芽が出て来ている。薔薇も芍薬も季節を忘れていない。人間よりも正確に条件さえ整えば咲いてくることに感謝。速く咲かずとも遅くであっても、花はそれなりに美しいものと知る。

 すばるは、パンは好きなのだがロールパンでないと口にしない。ライ麦パンだと愛想もなく立ち去る、パンの種類での文句は受けていないので飼い主はゆっくり戴く。枇杷葉茶がないと容れて!と大騒ぎして、熱いと飲めないと怒る。客人には見つからないように隠れ、居なくなった時点でやれやれと出てくるのが可笑しい。最近は観葉植物の味を覚えたのか狭い場所に入り込み、ちょろまかせて知らぬ顔で居るので気づき叫ぶ羽目に。

 いっくんのブログを探し当てて舞い上がっている。高が人形と言えどもされど人形である。こちらの気持ちが通じていくこともあるのだろうか?持ち主さんはわたくしではないが。あのピノッキオを思い出すのよ、木でできた人形であっても本当の人間になれる気もする。アシモフの我はロボットにも、グローリアの単純明快な気持ちがある。人間だからとか花であるとかでなく、自然は雄大にして存在しているのだと感嘆するばかり。
コメント (4)
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