枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

価値観の違い

2021年03月28日 | Weblog
 物事への個人の思いと言うのか考え方なのかは定かではないが、写真を撮って載せているのに心を鷲掴みにされることがある。その風景をカメラに収める瞬間、変にいじりまくらないでその彩を移すことに集中する。これは至難の技であろうなと何時も感じる。画面構成にも依る処が大きいのかも知れないが、其処には文字も隠れているし言霊さえ聴こえるものだ。

 文章にも他人さまに読んでもらうことは分かっているのであるが、誰の言葉も借りずに自分の心を晒しだす作業は難しい。然も、そのちょっとした言葉尻を捕らえる物言いもある。ブログと言えども小説の短編であり、続編へと流れていくのだが読み辛いのに当たると、ボタンさえ押せなくなってしまう。願わくば遠慮したいとかの項目も欲しい想いに駆り立てる。

 日本語の正しい使い方教室ではないし、それなりの教養もあり年齢的な考慮もあるので指摘は躊躇する。わたくしのさえまともかどうかは疑問なのを、他人さまへのことには及べないと思ってもいる。枇杷葉のことだけではなく、他のことも記載しているが誰かに褒めて貰おうと作為はしない。それが最近はファロー数が急激に増えるわ、コメントもあって驚くわ。

 仕事を辞めてから、自分と向き合うことが増えたのも良かったのか?枇杷葉に賛同してくれる方も次第に多くなっているのもうれしいな。個人の想いなので強制はしたくないし、枇杷葉生活を奨めても本人の気持ち次第であるのも尊重している。唯どういった繋がりかは不明だが、判ると言うのか視えてしまうことがあって真実との葛藤は止まない。森羅万象なの。

 最近目に留まった方のコメントに書かせて貰ったが、自然を敬いその姿を残そうと写真を撮ってなので夜間のことも尋ねた。そうしたらこの方は、人間が踏み込んではいけない境界もあることを教えてくださった。自然への畏怖と言うのは、人間の好き勝手ではなく命の宿る場所でもある。簡単で便利な生活も悪い訳ではないが、人間の傲慢・驕りを考えてしまう。

 昨夜から降り出しだ雨は、春雨の如くで音もなく止んだりと不規則である。洗濯物も少しなのと換わりの衣類もあるので、外に出したままだ。気温は20℃以上になっていて、寒さを感じるものの衣類での調整可能なのが有難い。すばるは午前中駆け回っていたが、マッサージチェアの羽根布団で丸くなっている。ハーフサイズなのがお気に入りで使うと機嫌が悪い。

 
コメント (2)
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