枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、啓蟄・小潮、八せん始まり

2021年03月05日 | Weblog
 二十四節気 啓蟄 地中で冬眠した虫類が、陽気で地上に這いだす頃の意で、啓蟄と言う。毎年三月六日頃である。流石に暖かいと感じていたら、鶯の声を聴いた。梅も八分咲きになっており、香しさに佇むものの曇空で見上げる。弁当の配達をして、Aさんちに水を分けて貰いに寄る。お金を受け取ってくれないので、花芽茶を用意して持って行くが手当を言われて返答に窮す。

 明日の午前中に来訪することを約束して、図書館で予約本を受け取って帰宅する。水を台所に運んでおいて枇杷葉の生葉を30枚ばかり採って、枇杷葉ローションと蒟蒻も袋に入れておく。明日の10時と言ったので、出向く段取りを玄関に揃えて置く。わたくしは基本、事前の準備をしていないと気持ちが向かないので散漫になる。手当と簡単に思う趣もあるようだが疲労困憊に。

 ブログの更新をしていて訪問者の急増に慌て、ファローも増えてきていてびっくり。枇杷葉が役立つのならそれで好いと思うのだが、自己流な解釈での施行は怖いので心配も。昨今情報は満載であるし、わたくし以外にも枇杷葉の詳しい方もおいでなのできちんと調べて実行を。ここまでに至る過程で間違いにも気づき、工夫しての結果であるので一朝一夕ではありません。

 湯舟に色が付いて焦り、昆虫や爬虫類等に刺されての応急処置、水虫や頭皮の腫れに足の浮腫み。アレルギー反応で薬が呑めなくなって混乱し、回復までに体調不良で紆余屈折も今は信じられない。そういった経験でのことを記しているのであって、医学的な根拠も知識での確実さもない。従って個人的な見解を押し付ける気は毛頭なく、試してみられて合えば由と思うばかり。

 自然からの恩恵を分けて貰えることに感謝し、その援けに祈りをする。書物を紐解くには、必ず旧暦が存在しているのを思い出し、一日の潮の満ち引きを考えていく日々でもある。自分に合った暮らしで、無理はせず感謝していきたいものだ。地球は、命のある凡ての棲む星。宇宙を眺めてその煌きを確認しながら、有難いと思い歓むのであれば心は豊かに満ちていくのだと感ず。

 今朝は、枇杷葉を飾ってある台所テーブルの花瓶を挿し換えた。すばるが狙ってやって来る。鮮度が判るのかハムハムしているのも可笑しい。でも、同じパンでもロールパン以外は要らない素振り。小雨が降ったり曇った空だと寒いので、毛布に潜り込んで居る。飼い主はすばるでの気温と外の情景が実によく分かるので、自粛であっても不便はない。会食費7万は独りだと2ヶ分。

 NHKもテレビが家庭に普及するようになった時には、実に良心的な番組内容であった。星になったチロで有名な、白川天文台も今は閉鎖されてしまった。当時は、犬の天文台長さんとして登場しており、日下英明さんの解説は楽しくもあった。迷子になったら北を見つける目印の北斗星や、太陽の昇っている位置での時間を知ることにも役立った。影の長さで何時かが判るのだ。

 方位磁石があればいいが、貧乏な庶民の暮らしには買ってもらえない。星の巡りにも季節のあることと、時間での移行に学ぶことは数知れなかったもの。現代ではスマホの登録で何時でも何でも可能ではあるが、そういった文明の利器が使えない時には、時間や方角をどうやって知るかは覚えていても好い。月の満ち欠けも大いに役立ってくれることを忘れないでおくのも良い。
コメント (4)
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