何となく違和感があってファローを躊躇するのも、書かれていることへの気持ちがそぐわないからだ。でも、わたくしのブログにだって、そういった思いを持っての方もおいでだろうしとやっと踏ん切りをつけた。個人的にはそういった数の競い合いには関わりたくないから、こちらがしていても相手への強制には及ばない。アクセス解析でやっと判った訪問者。
わたくしの好みがはっきりしているので、類は友を呼ぶらしいとにんまりする。基本は猫と花・風景が出不精には有難い。東京の下町やあちこちの写真にも、記憶があるだけに懐かしさが過ぎる。それだけで満足し、訪問させて貰えるので至極満足を覚える。今朝は天気だが気温は低い、弁当を作って届け郵便局や銀行に、図書館にも寄って帰宅の午前中です。
沿道は梅が満開で、李やミモザも咲き誇っているのが見える。道端には星の瞳が、仏の座になずなと風に揺れているのは田舎の風景か。川岸の桜は蕾させ見せず堅いまま、棲んでいる地域にも依るのだろうが、春は未だ遠い感じがしているばかり。鶯が鳴れない声でケチョケチョと囀る。烏の横道なことと言ったら、車ごときには怯まないでいるのに減速走行だ。
枇杷葉を煎じてのお茶で花粉症への対策ができるのだが、用いるのは乾燥葉でも生葉でもどちらでも好みでされるが好い。今の時期なら、山に行けば花芽が付いたのがあるとは思うが、さて勝手に入って良いものかは?道路脇に自然と発芽していてっだりもあるが、川の中に自生しているのは個人の物ではないらしい。まあ、葉を分けて貰うのだからいいかなと。
公園のや墓地にあるのは基本駄目です。千葉県以北には実の結実は難しくても、枇杷葉は発育していると思えますから、散歩がてらだったりで探してみるのもいいですね。枇杷葉は環境に左右されますから、二酸化炭素を吸収していて飲んだ時点で味が分かる。そういうのに気づかないでいたのを、リエさんが教えてくれてびっくりした。光合成をしているんだ。
自宅の山があったり畑があると便利は好いのですが、庭に植えるとなると陽当たりや場所的なことで無理が出ますから、諍いの元にならぬようにしてください。鉢は大きめなのを用意して、寒さに弱いので寒冷紗をかけたりするのも、温室があれば木丈に気をつければ好条件です。毎年の剪定をします。わたくしの棲む地域は比較的暖かいのですが雪も霜も降り。
この時期ですから花粉症対策と洗髪の(埃や乾燥)時に、煎じた枇杷葉エキスを塗布すれば、不快感が拭われます。枇杷葉には殺菌作用もあるので効果が著しいの。自然からの恩恵に感謝すると謂う行為には命への祈りでもあると思っています。原発を再稼働させないことは戦争への不参加であり、地球を皆で守り棲むということにも繋がっていくと信じて。
わたくしの好みがはっきりしているので、類は友を呼ぶらしいとにんまりする。基本は猫と花・風景が出不精には有難い。東京の下町やあちこちの写真にも、記憶があるだけに懐かしさが過ぎる。それだけで満足し、訪問させて貰えるので至極満足を覚える。今朝は天気だが気温は低い、弁当を作って届け郵便局や銀行に、図書館にも寄って帰宅の午前中です。
沿道は梅が満開で、李やミモザも咲き誇っているのが見える。道端には星の瞳が、仏の座になずなと風に揺れているのは田舎の風景か。川岸の桜は蕾させ見せず堅いまま、棲んでいる地域にも依るのだろうが、春は未だ遠い感じがしているばかり。鶯が鳴れない声でケチョケチョと囀る。烏の横道なことと言ったら、車ごときには怯まないでいるのに減速走行だ。
枇杷葉を煎じてのお茶で花粉症への対策ができるのだが、用いるのは乾燥葉でも生葉でもどちらでも好みでされるが好い。今の時期なら、山に行けば花芽が付いたのがあるとは思うが、さて勝手に入って良いものかは?道路脇に自然と発芽していてっだりもあるが、川の中に自生しているのは個人の物ではないらしい。まあ、葉を分けて貰うのだからいいかなと。
公園のや墓地にあるのは基本駄目です。千葉県以北には実の結実は難しくても、枇杷葉は発育していると思えますから、散歩がてらだったりで探してみるのもいいですね。枇杷葉は環境に左右されますから、二酸化炭素を吸収していて飲んだ時点で味が分かる。そういうのに気づかないでいたのを、リエさんが教えてくれてびっくりした。光合成をしているんだ。
自宅の山があったり畑があると便利は好いのですが、庭に植えるとなると陽当たりや場所的なことで無理が出ますから、諍いの元にならぬようにしてください。鉢は大きめなのを用意して、寒さに弱いので寒冷紗をかけたりするのも、温室があれば木丈に気をつければ好条件です。毎年の剪定をします。わたくしの棲む地域は比較的暖かいのですが雪も霜も降り。
この時期ですから花粉症対策と洗髪の(埃や乾燥)時に、煎じた枇杷葉エキスを塗布すれば、不快感が拭われます。枇杷葉には殺菌作用もあるので効果が著しいの。自然からの恩恵に感謝すると謂う行為には命への祈りでもあると思っています。原発を再稼働させないことは戦争への不参加であり、地球を皆で守り棲むということにも繋がっていくと信じて。