枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸の入り・小潮

2021年03月17日 | Weblog
 今朝の陽射しの眩さに重い身体を引き起こし、毎朝の行事を滞りなく済ませ庭に出れば昨日まで蕾であったのが咲いている。薔薇の新芽もグンと大きくなっていたり通草も…、何と早小さな房を付けているではないか。新芽が出て来ているのは知っていたが、気温の上昇に一気に膨らんだようだ。デジカメで撮影しておく。クリスマスローズも賑やかに。

 最近は、起床後にブログ訪問をしているが、件数が増えたことで追っつかない。自身のさえ更新が儘ならずの状態が続く有様となり、果てはネット切断の憂き目に遭う。そこで更新をしておいてから訪問の形にして、切断されても書き込みには間に合うと知った。PCの画面上の操作に疎いので、色々試しても更に混乱を招くという不甲斐なさでもあるが。

 年齢的なことではなく、習得の問題であろうことは分かっている。折角PCを習いに行ったのに役立たず。専門誌に書かれていることは理解できても、いざ実践となると考えこんでしまうのだ。機械を相手にするということには、感情移入が出来ない分、馴染まねば不具合の生じる度合いも増えると言う事か。今後の人生の行方を思わず、惨憺たる状況に。

 さて、本日は予定もなくとスマホを見たのが想定外で来客となる。珈琲を飲みに来たい由で、午後からにして貰う。便利な物には落とし穴があることに気づくが、政府の肝心な立場では手抜きはないと思う。庶民の血税を受諾しておきながら、接待はされませんがしてるのでとは何と嘗め切った言い草。懐など痛くも痒くのないだろうとも思ってしまう。

 暴言と庶民の感情を逆なでさせたら、この方の右に出る者は居ないだろう。政権の都合ばかりを唱え、仕事もしないで高給を受け取っている。赤木さんへの侘びの一言もなく、再調査にもしなくていいとは莫迦にしおって。閣僚への処分には辞任したらば無給で好い。悪の巣窟で常春を満喫していてるのを、更に潤し待遇の待ち受けまでも優遇とは驚く。

 彼岸の入りとはよく言ったもので、気温もだが風もない暖かさに暖房を消す。設定温度は19℃なので、これ以上になったら余り意味がない。自然からの恩恵には、じっと堪えて待つという有難さが潜む。フェンスの外ではリナリアが大きくなっているのが見える。草抜きも早くから始めると、ついうっかりとこれを抜くので用心して延ばしてきたのだわ。

 ユキノシタも葉が繁って来ているし、木香バラも蔓をフェンスに絡ませている。横着者にはこれが手っ取り早いし、倒れなくていいのだ。通草も枇杷葉へとそこら中に這わせる。ものぐさでありながら、花や実を愉しみ収穫といういい加減さでもある。すばるは陽射しを求めて出窓で日向ぼっこだったり、居場所を移動したりと気儘にしている。外は駄目。

 
コメント (4)
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