枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

三隣亡・小潮、珈琲の味

2021年03月07日 | Weblog
 銀座からのお取り寄せを隔月でしている、カフェパウリスタのブルーナイルが香りも飲み具合も絶妙で、これが出る月には少し多く買う。賞味期限も1年とあるが飲まないでいるのも、と先日封を切った。枇杷葉茶に癒されて珈琲で偶さかの歓びも悪くない。サンタさんが届けていてくれた時には良かったが、止めてしまわれて通販で見つけた。個人店もあるが満足。

 枇杷葉での援けを信じていれば、体調にも変化が出てくるとは思うのだが個人差は否めない。昨日手当に久々に伺ったAさんも、今までの経緯があったればこそで結果は直ぐに出ない。続かないと言う方はこの時点での諦めが多く、誰かに言われたりで信じてではないからだ。それに金銭的なことも含むし、手近なことで済ませてしまう。目先の快楽で左右される。

 何も見ず知らずの者に謂れて、枇杷葉の知識を押し付けられなくとも況してや遣ってみるとなるのは手間がかかる。そんな面倒なことを実行するよりも医者に罹れば早い、加えて気分も安堵することだろう。それで良いのだと思いますよ。わたくしは長生きをしたいのではなく自然からの恩恵と、枇杷葉が齎す自然からの力を借りているだけなのですから。

 身体は冷やさないでおきたいが、昔の者はそうはいかなかった。田に出るのも畑も山仕事も、排泄の問題には無関係で遣っていたから。寒くても暖も取れずであったし、我慢の限界まで堪えていたものだ。今の世であれば思い立ったら直ぐに行け、水洗で跡形もなく処理されるが排泄後の片付けも残っていた。衛生面は無論だが重労働だった。貧乏は悔しく厭だ。

 戦後の時代は目覚ましい発展を遂げ、電気を始めとして金を出せば手に入る世の中へと変貌した。知識の薄い者に安全安心と騙して設置した原発も、事故さえ起らねば隠せ覆える物体だった。あの震災から刻が止まったままの人等がいることに気づき、自分だけではなく他者への気持ちにもと。政府の遣ることは口先だけで、復興には及びもしないのが現実だろう。

 農家の男性が飼っていた牛を殺さざる過程、その命への侘びで自らも。原発さえなかったら の文字が潤む。覚えておいででしょうか?胸が張り裂けるおもいで家族のような牛を殺す気持ちが。親を失い友が消えてしまい頼れる者も居ずの人、気易いことは云えないでしょう?あの日に還れたらと願いませんか。帰りたくとも還れないあの日を。慰めもお金でもなく。

 原発は日本を、否地球を滅ぼす物体です。再稼働も延長にも絶対に許させる行為ではありません。青森の六ケ所村にある核の塵は野晒しで、計器が振り切れる程の数値を示す。福島の事故後の処理もされずオリンピックに邁進するとは、隠しきれることではない。何を以てしてコントロール出来ていると豪語したのか、狂っているとしか思えない国のトップの戯言。

 今のわたくしに判るのは未来永劫ではないことと、弥勒菩薩も観音さまもお釈迦さまにも予見できなかったこと。そういった邂逅に気づかなかった至らなさが恥ずかしいばかり。枇杷葉での教えを一人でも多くの方が、と祈り願う想いでも。枇杷葉のエキスを術後の痕に塗布して、緩く掌で撫でていくと綺麗になります。何日もかかるかも知れぬが痛みも和らぐ。

 

 
コメント (6)
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