枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走・八せん終わり、上弦・小潮

2022年01月10日 | Weblog
 事故の起きる確率は、月の満ち欠けとの関連性はどうなのだろうか?とひやっとした。大潮の満潮時刻には、人身事故が多いし命の保証は危うい。わたくしに判れば除ける・守ることも可能なこともあるものの、時間を操作はできない。せめてのことに大を小事に至らすのが、実のところは精一杯ともなる。

 介護の仕事をしていた時には、相手は生きていてのことなので懸念は何時も持って行動した。利用者さんの移動も、力の加減次第で大事故にもなる。多くは大腿部骨折で、車椅子の生活になり認知症状も増えてしまう。防げる方法があっても、相手は依存する気持ちが大きいので介護する者への負担は更にで。

 枇杷葉での援けを借りて暮らせば、とも思えるが誰しもでないのも事実なのだ。医者に罹るなではなく、予防的なことになるのだが気にもしない。転倒だの捻挫・打撲等を見聞きする度に、何故そうなる前にしなかった?と思える。自然の持つ力は裏切ませんが、自分さえとか己の欲だけでは天に届きません。

 今日は陽射しが弱く、風はないものの外での作業は断念しようと粗方を選んで箱に入れた。ブログ更新の後、2時間ばかりを切る予定だ。誰かがうれしく思ったり、よろこび感謝してくれればそれが無性に胸に沁みる。そんな単純なだけの想いだが、結果的には生かされて歓びに繋がるのだ。有難いことだなぁ。

 明日にはお弁当の用意・配達があるので午前中は出来ないが、帰宅しての枇杷葉茶作りとしたい。年中無休なので日曜日も祭日もないが、旧暦での暮らしであれば何等不自由は感じない。誰の為でもなく自分に還ってのことで、心を諫め引き締めてが丁度好い。宇宙の星は、其処にあるから美しいのだものね。

 先日のこと。日捲りの処に40代後半の写真をはせていたら、足湯に来る娘さんが誰?と尋ねるので指差したら驚いていた。上京した折鬼の集まりで ざわざわ森のがんこちゃん の作者と一緒、黒いセーターに青系のスカーフをしている。まあ化粧もしているからね。ぼそっと呟いたのに吃驚してしまったが。

 枇杷葉のお陰で肌は艶やかに、アトピーも消えたし血流も頗る調子が好い。でもこれには個人差も否めなく、処方箋や取り組み方にもあるように思える。わたくしの場合には、医者は信用できず何としても体質改善をしたかった。じっとしていて得たことでも、努力なしだったのでも。信じてひたすらに歩む。
コメント (6)
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