枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

人生って・・・

2022年01月22日 | Weblog
 今朝の新聞の人生相談は、ヤマサキマリさんだった。相談者は21歳の女性だが、その答えにこれよ!と叫んでいる自分が居た。人生は素晴しい・夢はかなう・頑張れば結果は出せる、よいことばかり信じ込まされて育てられるとあった。人間のやる気を促せるのかも知れないが、どうにも納得がいかなかった。

 これって上から目線でしょ?頑張れって、誰でもに可能でも不可能なことでもないが何を基準にだろう。便宜上の男尊女卑はなく平等さながらに言われるが、何か蟠りやしこりが解けないでいたのも事実だ。例えて言われたことが出来なかったり、云わんとすることから外れてだと敵愾心され受け入れないで。

 全文を掲載はできないが、回答の一字一句に涙が溢れた。努力を惜しむことも、自分に与えられた任務に遅々とした歩みであっても続けている。誰かと同じではなく、己として生かされていることを祈り感謝しても居る。皆・違っていてそれでいいし、異なるからこそ共生でき援け合えるのだとも信じている。

 想定する内容にも、様々な場面での要素がなければとも思える。やり遂げた時だけでなく、そうでない場合にも挫けないでいられる心を養いたい。優れた者は自分だけがの感でなく、底辺に居る者に因って立てているのだと思う。わたくしには枇杷葉に拘わる全ての人が、心豊かで幸せなことを望むばかりだ。

 コロナ対策もワクチンだけでなく、あらゆることでの柔軟な受け入れを希望したい。個人的には接種したら酷い症状が出て、それこそ七転八倒となるのでしない。免疫だの抗体だのにも、薬は吞まず医者にも罹らないでいる。自己責任で接種?冗談ではありません。無料より高い物はないのですから受けない。

 ですが、誰かに対して止めろもしないでとも云わない。そんな権利はありませんから。政府の遣り方云々よりも、地球が人類への警告を発しての事でしょう?ある意味覚悟が。命への延長が医学では可能かもしれませんが、それも金銭の余裕があればこそ。他人を巻き添えにするのはどうかとも思えますけど。

 個人のブログなので書いていますが、其々の思いであって好いのだと感じます。こうでなくっちゃ・こうあるべきって?何だか疲れてしまいます。何も皆が頂上に登れなくても、底辺で生活するのも楽しいですからね。それも亦個々の生き方でしょう、心の持ち方が各々違っているからこそ伝わっていくのよ。

 
コメント (4)
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