枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

さよならも云わないで

2022年01月21日 | Weblog
 庭が真っ白になっている。雪だった。昨夜からの深とした静けさと、耳に聴こえてくる旋律とが折重なっていたのは、雪が降っていたものか。狭い庭に植わってある木々にもクリスマスローズやアリッサムに、穢れを祓っているかのよう。青空が広がって陽射しを浴び、木々は緑を取り戻すとさよならも云わないで消えた。

 朝、意外と暖かく感じたが昨夜の寒さが抜けなかった。枇杷湯に入っても、湯温が低く感じられてしまう程だった。両手の指が動かなくて、流石に部屋のドアを閉めてでないとPCができない。大寒でもあるので覚悟はあったものの、肩凝りも酷くなる。もう暫くの辛抱なので、ストーブは我慢のしどころと点けないでおく。

 炬燵に入ればいいのだが、使わないと決めてからは書籍を積み上げている。手塚治虫記念館にも劣らない蔵書であり、ちばてつや・石ノ森章太郎・萩尾望都・高橋留美子・土田よし子等、今では絶対に手に入らないコミックも並んでいる。注文仕上げの本箱には、坂田靖子・萩尾望都の全集が詰んでいる。児童書も一緒に。

 水害があっても火事になっても、非常に拙いことになるのは明らかです。断捨離だの終活も思わないではないが、これをお金に換えてまでの気にならない。生活の足しにとか、売れば好いのにという発想に乏しい。個人的には、ダイアモンドよりもかけがえのない宝物なんです。貧乏でも心を豊かに暮らしたい?意地かな。

 枇杷葉を使っていてくださるつわぶきさんの、書き込みに心が温かくなる。年金だけの暮らしであれば、贅沢など思うことないのが常で何かを得ようとは殊更なこと。それに送料をご負担してもらうのだから、何かを贈ってだと困ってしまうのも事実。枇杷葉茶を生葉を使って、身体の改善に役立ってなのがうれしいだけ。

 我が家の枇杷葉でなくても、気長に続けていかれる過程が信じてであれば好いのだと思える。個人的には、枇杷葉だけでの変化を見たいが強制は不可でもあるので。信じていての変り様にも驚くことが多くあり、症状への出方も様々に感じる。枇杷葉の謎も解明され、多くの症状に対応できるならと密やかな愉しみでもある。

 
コメント (9)
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