枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月・三隣亡・小潮

2022年12月15日 | Weblog
 今朝は用事が溜まっていたので、郵便局から電気屋とコープに行きすばるの餌を買って燃料補給に周る。所要時間は2時間、帰宅途上を図書館も寄り午後も過ぎていた。その後、枇杷葉の生葉を送る手配をして連絡してのブログ更新となる。出不精の為、其々の要所での買い物は必要最低限としているが支払わぬ訳にも。

 滅多に出かけないからか、疲労困憊でPCに向かうが腰に当てた枇杷葉が心地良い。身体への冷えは厳禁なので、おかしいと感じたら焼酎に漬けてある生葉を使う。勤務時には毎日だったが、無理をしなくなり痛みはない。今日は風が冷たくあり、割合と吹くので用心に当てて備えあれば憂いなしと心得ての手当ですわ。

 ここ数日、心に気がかりな言葉がある。一対に幸せでないとや素敵な記事でなかったり、そういった日々でなければ駄目なのか?自己判断だと思うが、辛いも哀しいも、他人と比べるからであって起きるのではとも。現状への思いやりや言葉掛けも安易なことは云えずだし、答えは何処にもないものと考えるがどうか。

 以下、他者のブログを誹謗中傷は全くない。文章の流れで、これは嘘だなと思えたり感じることも多い。それが本人の特色であり、個性でもあるので気に障れば行かなけばいい。況してや宗教色での戒めや悟りには、イエスなのも違和感が強い。それらは押し付けで有、半ば信仰心が無ければ人間でないとの説教にも。

 小さな親切・大きなお世話で、信じる根源は他人其々に異なるもの。自らへの気づきや悟りなら良いが、他者にこうしなさい・幸せになりますには辟易する。お釈迦さまであろうと神さまであっても、宇宙が元で森羅万象に還る。心は自由であり、様々な事象が起きるからこそ生きても逝けるの。あるが儘為すが儘。
コメント (2)
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