枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

春をかじってみる

2010年02月24日 | Weblog
 今日の勤務は、昼過ぎまでで、しかもお天気は陽気な温かさ。Aさん家に水を頂きに寄って、てあてをしながらオリンピックに昂じ、つい長居をしてしまう。枇杷茶とお八つを頂きながら、ふと流しの上にある薄緑の物体に釘付けになる。あっらぁ、蕗の薹ですよ。Aさんのご主人は、夙に趣のある方で、散歩されてか竹笊に蕗の薹が入れてある。

 春の香りが清々しい。辛子酢味噌を手早く作ってくださって、蕗の薹を3つばかりもらいました。食べ方をしっかり頭に入れて、帰宅しての夕餉に食しました。ちょっとばかりあるほろ苦さが、何とも言えない旨みですね。Aさんによれば、蕗の薹も遅すぎるらしい。立春辺りのが旬であるらしい。自然を大切にすることは、何もほっちらかしや乱獲でなく、時期にある食材をうまく料理して、眼も愉しませてくれることになるではないか。

 自然を知ることは、人間の生活を、地球上のあらゆる生き物の、営みを知ることにもなるのではないか?そんな風にも思ってしまう。この暖かさに、啓蟄を待つまでもなく、そろそろと虫が這い出して来ている。蜘蛛が物干しにぶら下っていた。枇杷葉の葉の裏側には、何やかやと蠢いている。春はすぐ其処である。

 昨日は、休みであった。お昼頃、急に思い立って散らし寿しを作った。具には蒲鉾、沢庵に金糸卵と海苔。それに焼いた鯛の身を解した。青い物がなかったのですが、ふと出窓を見ると、蕪の菜の花が目に入った。それをあしらいにしたら、春の野原になった。孫達は美味しいとお代わりをする。嫁もお代わりをしてくれた。

 最近は、安くて美味しそうに見える物がたくさんあります。お金さえ出せば、誰でもいつでも買えます。でも、そういった物には、防腐剤は勿論、添加物もたくさん入っています。病気になるために、お金を出しているようで、私は鼻ッから遠慮です。安い物をたくさん食べるより、高くて頻繁に食べれなくても、健康なのがいいかな。と思うのです。

 昔の諺には、『腹八分』というのがありますが、働こうとすれば、お腹一杯では動けません。生まれたての赤ん坊が、お腹がよければ眠っていますが、それとは反対です。実際、仕事をしようと思えば、身軽でないとできないのです。かといって、出生率が低いので、若い方には産んでもらいたいですね。でも強制はできません。個々に違った考えがあるのです。生き方が違っていて、至極当然でしょう。

 勤務途上の畑に、白梅が咲き始めました。窓を閉めて走っていますが、梅の香りが漂ってくるようです。我が家のは、未だ蕾が咲きませんが、毎朝眺めてはいます。庭のアネモネがぐんと背を伸ばしました。クリスマス・ローズは、1輪2輪と咲き出しています。春の陽射しに心が躍る瞬間です。2月も、時間の渦に巻き込まれていくようです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
 

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