枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月・望・大潮

2024年12月15日 | Weblog

 今朝は早起きとして、散らし寿しを用意しての介護施設まで行く。当番の方が知人であり、お世話にもなっていて参加する目的のカフェ。自宅での銀座パウリスタとは味も無論、雰囲気等問題外だが偶には付き合いをしよう。

 出不精をことある毎に不憫だのと哀れんでにも、他人が苦手なので一向に構わず。お世辞は云わぬし、正直に物申すからある意味・図星に困惑なのだろうと察する。或いは自分を卑下もせず、他人との区別を明らかにする為。

 感知能力が長けていたりだと、文字の中に虚栄心や嘘が混ざってを視てしまえるのだ。正直に書けば良い?あからさまだと誹謗中傷の的、極めて危険を伴う。誰しも自己中心の記載、飾る度合い変化に繋がり我に還ると自負。

 言葉には魂が宿り、それが一人歩きとなり未知は果てず迷路へと入り込む。自らが発した言葉が形を変え、行方知れずとなっても見つけられないし探す中てもない。其処に命があること疑いなく、況してや己に還ると非ず。

 異変の起きる事態には、突飛なこと多く想定外となるものと知る。突然として視える景色や、想う人の姿へと繋がり胸が締め付けられる也。日常にて起き、或いは就寝時に魘される現象あれば鮮明な映像もたらし戒めるとも。

 身体への異変は、耳が突然聴こえなくであり心臓が無数の針で刺された。天界から迎えにも想えたが、一瞬のことと失せた。体質の異常性と思えるものの、黒雲の如く湧き拡がり光の筋が目前に垂れ下がる現象が観える也。

 自然からの恩恵を取り入れてに、知恵と工夫を行えば愉しみ見つけ歓びと繋がる。清貧であれど、旧暦の暮らし捨て難く堪能也。

コメント (4)
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