枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

上弦の月に

2010年02月21日 | Weblog
 子どもの頃、黄昏時の妙に物悲しい心の揺れは、異次元への入り口へと誘っていった。差し招く誰かについて行き、ふと宇宙を見上げ、月が冴え々と輝いていた。そんな想い出がある。周りで遊んでいた筈の誰もが居なくなって、私一人が取り残されていた。母の呼ぶ声を聴いたようでもあり、そうでなかったような。気がついたら、月の光が燦々と降っていた。

 あれは幻か、夢であったのか。とも思う。一瞬、自分が何処にいるのかわからず、それなのに、思考すれば家の庭に突っ立っていたのだ。なんだかなぁ・・・明見さまの狐に誑かされたのか。祖母が両手をパン、と大きく鳴らして眼が覚めた。へんだなぁ?まるで宇宙をとんでいたようなんだもの・・・。祖母は翌日。豆腐屋に出かけて行き、油揚げをたくさん買って、明見さまにお供えをしてくれた。

 堆、昨日がお正月だったのに、早2月も過ぎようとしている。気忙しいことである。仕事は順調に行けているが、自分の資料の整理に、手間取っているのです。枇杷葉の新しくわかったことを追加して、文章を綺麗にまとめたいんだ。要点がかなりずれていたり、表現方法が拙い箇所もある。推敲してから書けばいいのを、そのまま書いっちゃったんです。随分と独り善がりなところが多いのです。

 ファイルに書いていっていた頃は、漠然とした思いだけでしたが、いろいろやってみる内にわかってきたことも間々ある。知らないでいたことや、教えてもらったことも多い。まあ失敗をしてみなければ、そういった経験ができない。何事も然もありなん。中でも、枇杷葉の実が、毎年鈴生りになるとは限らない。という発見をした。

 人間の思い通りには、一つとしていかない。と言うのにも納得した。こういったことは、学校では教えてもらえない。自然が気づかせてくれる。自然というのは、厳しいけれども嘘はつかない。人間の素直な心には、ありのままに入ってきてくれる。有難いです。学ぶという謙虚な姿勢で、今後も取り組んでいきたいものです。

 時々、大学に行って、研究に没頭していたくなったり、書籍の山に囲まれて、知識を貪欲に吸収していたくなります。物理、宇宙工学、哲学から漢方に至るまで、学びたいことがたくさんある。60の手習い。と言うけれど、諦めないで夢を持ち続けていよう。そんな風に考えていたりするのです。但し、非常に路は険しい。と思えますが・・・。

 枇杷葉のことを知れば知るほど、疑問が浮かび、驚きが広がっていきます。謎がなぞを呼びます。これがとても愉しい。深く掘り下げていく過程も面白い。いやいや思わず顔が綻んできますよ。この醍醐味は応えられません。一人碣たりします。聞き役は銀河です。猫に、人間の言葉が通じない。と思ってますでしょ?まあ、それでいいのです。

 今日は、日曜日でしたね。平日が休みだと、何だか調子が狂ってきますね。自分の休みの日に、お天気が悪いと、布団が干せなくてがっかりします。これも自分勝手な思いです。

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