枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

つむじ曲がり・へそ曲がり

2011年02月17日 | Weblog

 昨日、アンジェラ・アキのCDを聞こうとしたが、作動しない。加えて、音だけ聴けるビクターの音量が出ない。なんでよ?いつもだとPCでちゃんと聴けるのに。つむじを曲げているとしか思えなかった。なぜなら、今夜はかかっているもの。まったく、へそ曲がりである。

 昨年、コンサートに行く前に買いたかったんだが、注文を忘れていた。生演奏は素敵だったが、耳を劈く大音響なので、自宅で聴くのがちょうどいいこともあったりする。時間的なこともあれば、趣味のこともできる。何よりも他人が居ないことと、自分の時間に浸れる。

 枇杷葉を、使う人が居なくなって、屋敷が取り壊される。当然のように枇杷葉は伐られる。もったいないなぁ・・・。枇杷葉を伐るのなら寒中にしてください。と、同時に広告を出してください。枇杷葉を差し上げます。用途は数限りなく。但し取りにおいでくださる方。

 東京にも、結構あちこちに植えてある枇杷の樹です。江戸時代には、小石川療養所があって、ここでは枇杷葉は、欠かせない治療薬だったろうと思える。梅や枇杷は、どこにでもあるが故に、庶民の生活に、とても大事な役割を果たしていたのではないか?塩や酢も同じであろう。

 以前、抜歯した後の血止めに、塩を擂り込んでおきなさい。と、歯医者さんに言われたことがある。害がなくていい。高齢者の歩行が困難な原因は、麦を食べないからだ。そこに考えを持っていけば、膝の調子もよくなって、水を抜くなどしなくても済むのにと思う。

 銀河、ちょっときてよ。にゃ~にぃ。この後、枇杷酒を飲まされ、数日は警戒して、呼んでも来なかった。

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梅が綻ぶ陽気に

2011年02月16日 | Weblog

 暖かい。縁側でじっとしていると、汗ばんでくる。先日の雪とは段違い平行棒。銀河も、擦り寄って来て、グルニャン~と咽喉を鳴らす。居眠りをしそうな陽気さです。梅が次第に綻んできている。くすぐったそうな面持ちです。旧暦のお正月を過ぎ、薮入りも済んで、天神さまのお祭りです。天神社では鷽替えがあって、取り替えてもらうと1年が無事に暮せるそうです。

 梅に鶯。といいますが、鷽の方が梅には寄って来て、蕾を啄ばんでしまうらしい。鶯より、一回り大きな体だそうですね。色は、鶯に似ているようで、勘違いが起きる。蕾のなくなった梅の木が気の毒です。人間は、梅祭りができない。梅の実が採れない。と。利益ばかりに目がいきますが、中々上手くいかないんですね。

 昔の人は、季節に執り行う行事を、重なることの無いように、大人も子どもも一緒にできるよう、工夫をしていた。或いは、ここまではいいけど、ここから先は大人になって。というけじめを設けていた。子ども社会にも、それに適った掟があり、年長者から順に教えてもらったものだ。心が浮き立つような、それでいて待つことの楽しみがあった。胸のときめきがあった。

 苦労や辛いことや、哀しいことには決して向き合わない、現在の世の中だが、殺伐とした淋しい想いが増える。あたら命を粗末にしないで。生まれてくる命も、消えていく命も、比べるべく等しい。怪我の功名。と言うが、死んでしまっては、再生不能。枇杷葉にも、エネルギーは無限大ではない。スーパーマンにも苦手な物はあるでしょう。

 一昨日の名残雪が、枇杷葉にしている寒冷紗にあって、溶けないでくっついていた。野鳥が出入りするため、継ぎ目が広がっている。脚立に上がって直した。2・3箇所繋ぎ合わす。何しろ、ヒヨドリが侵入するのだ。ぎゃあ、ぎゃあとけたたましい。あちこちにぶつかって、逃げ惑っている。鴉は、断トツお利口である。シートン動物記の『銀の星』を思い出す。

 蜜柑の安いのを買って、半分に切り、庭のあちこちに置いてやった。何で林檎は食べないの?キウィを甘くするのに使ったのだったからか?しかし林檎は消えていた。これは、鴉かもしれない。或いは、狸ちょんかな?猪ではなさそう。鹿かも??我が家の庭には、食べ物があるために、山から出てくるのです。寝静まった時刻なので、うろついていても不信はない。

 日中、暖かいと薄着をしていたら寒くなった。いかん!枇杷酒を飲んでおこう。電気屋さんがアンテナを替えたり、映りをよくしてくれた。さすがプロです。大変よくなりました。お礼に枇杷葉茶と花芽茶と、枇杷酒をあげた。とても喜んでくれ、無農薬の珈琲も、咽喉越しがいいと好評でした。Aさんから代金は預かっているのですが、振込みに行けないでいます。

 サンタさん、明日には行けると思います。午後からの仕事なので、その心算にはしています。珈琲が値上がりすると、毎日は飲めなくなるなぁ。安いので我慢するよりは、飲まないでいる方がいい。無農薬の珈琲の風味は、まったく違うのです。飲んだ方は、その美味しさに驚かれます。いろんな意味で、買ってくれるとうれしいなぁ。

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アクセス拒否?

2011年02月15日 | Weblog

 一体、どうなったのか、とんと繋がらない。既に3時間が経過し、痺れが切れた。辛抱強く待っているものの、その間は何もできないのが困る。こういうのって止めてくれないか。ネットに疎い者が、やっとこやっているというのに、頻繁に出る黄桃梨。これらはすきだが、すこぶる嫌いでもある。

 パソコンが何かに取り憑かれたか、それともくたばってきたのか?そういえば、保障期間は5年だった。そろそろ寿命か?そんなに早く、作動不能になってもらっては、新しいPCになれないのにどうするんだ。予算もないよ。機械にやっと慣れてきたかと思っていたのに。散々である。始末が悪い。

 昨夜の雪は、夜半まで降り続け、あの後3cmは積もっていた。朝、庭の枇杷葉の木を見れば、雪の重みで枝が折れそうだった。寒冷紗も、継ぎ目が離れている。帰宅してみたら、雪はすっかり溶けていた。春の湿った雪は、重くて冷たい。さて、実がつくのだろうか?我が家の庭を、すっぽり包む寒冷紗がいる。

 精神安定剤や睡眠薬は、神経の箍を外したり、とある時間を迷わせる。つまりは、眠気を誘発させて、コントロールして眠らせる。だが、個人差があって、精神に異常を来たす。眠るどころか、昼夜の時間がわからなくなったり、自分のしていること、相手のしていることへの理解度への舵が取れなくなってしまう。

 枇杷葉には、こういった自律神経への複雑な働きに、何気なくかみ合ったり、添い合わせたりして、本人も気づかぬ内に、症状の落ち着きをもたらす。この場合には、お茶で飲むのが最もよく、温かな咽喉越しが軟らかく溶け込んでいく。欝の状態にも依るだろうが、神経の昂ぶりを押さえてくれる。

 私も、そういった症状に効果があるとは思ってもみなかったが、気持ちのコントロールができ、腹の立つことが少なくなった。微力でも、無いよりはましである。また、藁にも縋る。と、言うが、薬に頼り過ぎず、心の中を爽やかにしていたい。踏まれても起き上がる道端の植物のように、チャンスをじっと待てるように。

 昨年の、クリスマスローズ。今年は、まだ咲いていません。

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雪の空・・・

2011年02月14日 | Weblog

 朝から、小雪がちらついていたのが、森々と降り続き、一向に止まない。春の雪は積もらない。と言いながらも、空を見上げた。雪は降る、あなたは来ない。の、歌の文句ではないが、我が家のことも気にかかる。銀河は寒くないだろうか?湯たんぽのところに居るかな?そんな想いが頭を翳める。

 夕方、仕事が終わって、駐車場に行き、たまげる。車が埋まっている。愛車が見えなくなっていると思いきや、色が白なので、わからなくなっていた。エンジンをかけて、ワイパーで雪を払う。グィ~~ン・・・折れそうにやっと動く。帰宅途上は幹線道路なので、雪は降ってはいるものの、スリップはしなかった。

 ありゃ!我が家に近づくにつれ、雪の量が増えるではないか。なんなんだぁ~。車庫の周りが雪の壁。玄関に辿り着くのに遭難しそう。っては大袈裟?靴が雪に埋まってしまったよ。どういう所なのよ。急遽、勤務先に連絡し、このまま降るようなら、泊まりに行きます。と、電話をいれた。そうしたら雪は小止みになった。

 玄関から車庫までを、雪かきする。べたりとした湿気を含んだ雪です。明日は、早出ではないので、泊まりは止めたものの、ノーマルタイヤのままが怖い。これも我々が、あまりにも快適で、便利な生活を求め過ぎた結果なのだ。自然の中で生きて、地球のためになることは一体なんだろう。

 銀河の行動を見ていたら、寒さの度合いがわかる。昨夜は一度も布団に来なかった。今晩は、膝に来て動かない。重いのだがしかたない。銀河の居る場所によって、室内の温度がわかるので、防寒対策がつく。人間の知恵の不足を補ってくれる。ありがたや。犬も猫も、家族の一員として居るんだね。

 昨年の木香バラ。この後、剪定した。ばっさりと伐った。今年は花が咲くかな?

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春を待つ・・・

2011年02月13日 | Weblog

 梅の蕾が除々に綻んできている。梅に鶯。鶯は、藪の中。未だキョとも囀らぬ。梅が満開になれば、出かけよう。近場の梅林へ行こうと思うが、手頃な場所は少ない。月ヶ瀬梅峡のような、見渡す山々が梅、という風景は、近辺にはない。水戸の偕楽園、大宰府の飛び梅も見てみたい。梅の香の清々しさがいいのです。

 我が家の狭い庭に、3本鉢植えで置いてあるが、花の終わった後に、小梅が生る。梅ジュースにする。今年は焼酎に漬け、梅酒にしよう。風邪を引き、体調を崩した時、枇杷茶と枇杷酒を飲んだり、梅ジュースで咽喉を潤した。すこぶる調子がいい。咽喉のイガイガも取れる。氷砂糖でしているので、酔っ払わない。

 人間の心の動きは、眼に見えないけれど、何も考えないで寄り添っていれば、相手の心が読めるときがある。かと思えば、相手の機先を制して、コントロールすることもできる。でも、それだって無理矢理にはできない。心を捩じ曲げることになるから。緩やかな曲線での対応にして、黒子のように傍で見守る。

 人間の個人の人権を守ることも、大切には違いないが、認識が不可能になってしまった人に対しては、どうすればいいのだろう。こうすればできるということでもなく、かといって、失敗を恐れていては、何もできない。心はいつも、黒白はつけられない。悩み苦しみ、そうして何がいいかを考えていくことに尽きる。

 無力である。力も及ばず尽き、打ちひしがれてしまう。それでも諦めない。神さまのお迎えのある日までを、共に生きて行きたい。自然にすることが何よりも大切。心が萎えても尚、誰かの傍に居られて、必要としてもらえたら、とてもうれしい。挫けそうな心に、そっと触ってやり、神の裁きを待っていよう。

 リエさんの誕生日が来週かな?枇杷酒と花芽を贈るね。花芽は焼酎に漬けてください。枇杷酒は、3年物なので、1.8ℓにして、果実瓶に増やしてください。どちらも風味がよくて、飲み易いです。私は、どちらかというと、日本酒ですが、枇杷酒は別です。焼酎の匂いではなく、杏仁の香りがいいですね。

 先月の月と木星。あまりの神々しさに、思わずシャッターを切った。凍てつく宇宙にかかる数多の星も美しい輝きだ。

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世間は三連休・・・

2011年02月12日 | Weblog

 今朝、牡丹雪が、ぼたっぼたっふわりん。と絶え間なく降っていて、危うく遭難しそうだったが、仕事である。愛車のワイパーをフル回転させて、勤務先に到着した。雪は、午前中で止んだものの、凍結の心配もあって、帰宅時には間違っても雨になどなりませぬよう。と祈っていた。願いが届いたのか、雲ってはいたが、降ってはいなかった。

 明日も仕事。体は一つだが、することは山積。加えて、個々の人間に対応することの難しさは、半端なことではない。落ち込むばかりだ。心が通じ合わないことって、自分の力のなさや無力感に押し潰されそうになる。単にやさしいことばをかければいい。ということでもない。反対に、寄り添える努力や、タイミングにも依る。

 インフルエンザの猛威と腰痛に、私以外の者は、難儀をしている。病院に行っての診察も必要だが、要は腰を冷やさないことに尽きる。私は、枇杷葉の焼酎漬けを、手拭で包み腰にあて、その上からは懐炉を貼っている。用心を怠らない。どんなに熱いお茶でも、氷は入れないことを守り通す。

 体調を崩してから病院に行けばいいのではなく、行かないような体を作る。大切なのは心構えの努力です。それでも尚、そうなってしまった時には、致し方ない。我慢しないで治療します。私は、民間療法で治します。体に負担が少ないからです。また自分でできるので、時間の有効利用も可能です。

 人間の自然治癒能力、自然界の何処にでもあるエネルギーを借り、二つの力が相反することによって、もたらせられる負の働きが癒すのでは?と、思っています。それらを裏付ける理論的なことはわからないけれども。また漠然ではあるが感じる。それが枇杷葉の力の、不思議な威力かもしれません。

 息子が寄ってくれたので、銀河の薬酒を飲ませる。もう少し日数がかかりそう。しかし、驚くべき枇杷葉の力だ。動物病院もあるが、保険が利かないのが難点。枇杷葉は、症状によって使い分けるのがいいようだ。足の捻挫も治りつつある。生きる気力への、賛歌に繋がっているような気がする。

 東側の長崎茂木。下から見上げたところです。花芽がつかなかったので、枇杷葉専用にしていました。

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上弦の月

2011年02月11日 | Weblog

 凍てつく宇宙にかかる月は、中空にあって、冴え々と美しい上弦の姿。帰宅途上の宇宙を思わず見上げる。東天にはオリオンが昇り、シリウスとプロキオンも観える。夏生まれの星座が、黄道に並んでいる。ふたご座、かに座にしし座。おうし座、おひつじ座とうお座。その近くには、輝きを増すように木星が光る。

 こんなに綺麗な宇宙を観ようともしないで、携帯を耳に当てて、大声で話し、自転車で追い越していく。或いは、携帯の画面を見ながら歩き、挨拶もろくすっぽしない。座るとデブ夫人になってしまうよ。って、これがわかれば、りっぱな小母さんですが・・・。でもね、冬の宇宙が一番、見応えがあるのです。しかも、料金はいりません。

 清少納言もいうておるではないか。春はあけぼの、ようようしろくなりゆく・・・星はすばる。この昴は和名で、プレアデス星団として、星座表には載っています。肉眼ではっきり観える星はくらいでしょうか?星団と言うくらいですから、数多の星が集まっています。見惚れてしまい何時までも飽きることがない。

 枇杷葉の葉影や、木の傍に居ると、とても幸せな気持ちになる。そうしていると、咽喉が乾いているのがわかったりする。花木は自己主張しないけれども、思いを馳せることはできるのではないか?地上の花、天の星。人類には愛がある。それなのに何故、争ってばかりなんだろう。

 今朝、昨夜からの雪模様に、そろそろ起きねば・・、と思っていたら、携帯が鳴った。スタッフの一人が風邪で休んだので、早めに出て来てほしい。と、言われる。え~っ。べ・弁当が間に合うか?山を覆う雪化粧にシャッターを切り、勤務先へ向かい、帰りは、愛車のフロント硝子の凍結に慌てた。急遽、暖房を大きくして溶かした。

 遅出なんだが、眠気が襲う。雪原での遭難みたいだ。じっとしていると更に眠い。体を動かせて居ると眠気が飛ぶ。空模様は、曇です。今晩から雪らしい。仕事に行けるかしらん・・・。蕗の薹の芽が出るのを楽しみにしよう。どこかで春がうまれてるぅ~。

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捻挫の後には・・・

2011年02月10日 | Weblog

 朝は、風が強かったのが、10時頃には止んできた。お天気もいいので、布団を干す。机のところの膝掛けにしている毛布を、外に持って行きかけたら、左足の指をぶつけた。折れてはいないようだが、痛みが増していく。枇杷葉の焼酎漬けを足の指と甲に貼った。すっと痛みが和らいだ。靴を履こうとしたが、足が入らなかった。

 母の墓参りに、娘と行く。長靴を履いてみたが、ちょっと痛かった。びっこを引き、坂を上がって下りた。竹藪が無残になっている。筍を採ろうと、手当たり次第に切っているが、竹の習性や、土の改善をしないで食べようとしている。愚か成り。筍の気持ちになってみればわかるのに。

 墓参りが済んでAさん家に寄る。水を分けて頂く。そこで聴いたとてもうれしいニュース。電気屋さんは、仕事の往復時に、枇杷葉を見つけられた様子。木を採って来られて、お茶にして飲まれているようです。海辺の枇杷葉は、大きな花芽をつけていて、たくさんのお茶ができたそうです。よかったねぇ。

 もう一人の方は、癌の手術をされたそうですが、抗がん剤も何とかも、医者が必要ないと、出してくれなかったらしい。畑にあるので、毎日採ってきては飲んでいるそうです。少し痩せられているものの、血色がよくなられ、体力も気力も、快復に向かっておられるそうです。枇杷葉は、種でなくても効果があるのです。

 Aさんにその話をお聴きして、信じることも、回復力に繋がっていっている。と、強く感じました。無論、このお二人は、私との面識があります。初めは、Aさんやご主人に、熱心に枇杷葉のことを聴いておられ、当然、枇杷葉茶をたっぷりと振舞われていました。自然の恵みに感謝して、そのエネルギーを戴けるのは、貴重なことですね。

 リエさんのところも、枇杷苗がすくすく育っているようで、移植後もしっかりと根を下ろしたらしい。最も、リエさんのお住まいは、枇杷葉の成育や、出荷が盛んな所です。発育状況も、我が家よりはいいかもしれません。何時も傍に枇杷葉がある生活は、安心ですね。とても心強い味方です。肥料は、3年は与えません。

 東側の双子の枇杷葉です。プランターでの栽培です。外に出したのがいいかな?と、思いつつ、乙女椿の傍に置いています。今年には、出してやるかな・・・

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兎は逃げる・・・

2011年02月09日 | Weblog

 珈琲が値上がりするらしい。けしからんではないか。何ゆえ、珈琲だけにするのであろう。庶民の楽しみを奪うとは、気に入りません。ガソリンだって、随分だよ。徐々に値上がりしている。今日の国会中継など、本末転倒。自民党と民主党の小競り合いです。いささか大人気ないようにも思うし、国民のことを考えているとは感じません。

 私の給料とは、ナイアガラの滝くらいの差がある暮らし。そういう上から目線では、働く意欲も希望も木っ端微塵です。何だか、一生懸命にしたり、努力したりが厭になる。それでも、働かなければ、生活ができないのです。全く持って、国民を愚弄しているとしか思えない。せめて希望の光を消さないで。無駄遣いはしないでいただきたい。

 今年は、兎の年ゆえか、様々に逃げていくような気がする。跳んで撥ねて、一目散に逃げて行く。やだなあぁ・・・、お札など価値さえないような感じがしてくる。まだ2月だというのに、最早先が見えない。一面の銀世界も、なるほどと頷けます。倹約・節約しての生活も、限度があるようです。

 昨日の雨で、梅の蕾が綻んできた。乙女椿は、昨年とてもたくさん咲いたので、今年はちらほらとしか蕾がない。生協で買ったプルーンと李は、一向に生りません。種を発芽させて、接木にした方が早いかも。いや、接木にしてある。どういうこっちゃ?自給自足の暮らし向きには、程遠い感じがします。

 銀河が、膝に乗って来ないと、気温は暖かい。寒いとどうにも煩く、騒がしいのだが、本能で感知している。我が家は、隙間風こそ入らないが、湯たんぽだけで我慢している。朝は、枇杷葉茶を沸かすのにストーブを点け、夕方は殆どつけない。体にしっかり着て防備し、自分の体温での調整をする。

 苞が弾けて、花が咲き始めた花芽。この自然の匂いには、とても癒されます。花弁は5弁で、白く清らかな色です。

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久々の雨・・・

2011年02月08日 | Weblog

 朝、異様に耳が痒い。耳垢があるかと、綿棒で確かめたが、出てこなかった。午後から雨らしい。3時を過ぎた頃から、春雨があった。帰宅しようと勤務先を出たら、しっとり濡れる雨量である。風邪を引いても困るので、傘の代わりにナイロン袋を載せて、駐車場まで歩く。

 Aさん家に寄っての用事があった。愛猫の手当てである。大分、よくなって来ている。電気を入れてやると、目を閉じて気持ち良さそうにしていた。その後は、Aさんの手当て。疲れが溜まっているのと、冷えからきている。足首が腫れていた。

 さすがのAさんも、足の冷えには我慢ができなかったらしい。足湯をされたようです。暖房の温度をどんなに上げて部屋を暖めても、体が自然に温まらなくては、冷えは解消されない。枇杷葉のでの足湯はよかった。更に、蒟蒻を温めて載せるのはいいですよ。他の方法としては、真綿がいいですね。

 人工的な暖かさに、自然での温もりは引けをとりません。それどころか、持続性があって、体の芯から温めてくれます。腹巻も絹のがいいし、寝具や衣類も同じです。但し、紛い物では体に負担をかけるだけです。日本人の考えた着物には、保湿や保温効果があって、発汗にもいいのです。

 ですけれども、活動的ではないし、着心地では洋服の方が見た目もいい。文明開化の波が押し寄せてき、日本人は洋装へと変えてしまった。決して、悪い事でも間違っているのでもない。人間の体に、負担が増えるとは思わなかったでしょうが。自然の力を利用しない手はありません。

 体の首か両肩、腰、足首を、四季を通じて冷やさない。真綿は軽く暖かいし、汗をかいてもさらっとしています。肩凝りにも、冷やさないことが肝要なので、薄い物を当てておくのもいいようです。祖母が、寒がりの私にしてくれた、やり方です。滑って落ちるのが難でしたが、暖かさは懐炉の比ではではありません。

 現代は皮肉なことに、日本人がしないでいることを、外国人がしている。蚕を飼って繭を紡ぎ、機を織っている。輸入品に頼り、冷凍やレトルトを買い、田畑を放棄して、山を荒らしているのだ。自分たちの資源を、生命維持の源を、とても簡単に捨てている。地球が怒るのは、無理ないことだ。

 クリスマスローズの蕾。今日の雨で咲くかな?寒肥が効き過ぎたのか?昨年は、初夏まで咲いていた。

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