枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

梅が綻ぶ陽気に

2011年02月16日 | Weblog

 暖かい。縁側でじっとしていると、汗ばんでくる。先日の雪とは段違い平行棒。銀河も、擦り寄って来て、グルニャン~と咽喉を鳴らす。居眠りをしそうな陽気さです。梅が次第に綻んできている。くすぐったそうな面持ちです。旧暦のお正月を過ぎ、薮入りも済んで、天神さまのお祭りです。天神社では鷽替えがあって、取り替えてもらうと1年が無事に暮せるそうです。

 梅に鶯。といいますが、鷽の方が梅には寄って来て、蕾を啄ばんでしまうらしい。鶯より、一回り大きな体だそうですね。色は、鶯に似ているようで、勘違いが起きる。蕾のなくなった梅の木が気の毒です。人間は、梅祭りができない。梅の実が採れない。と。利益ばかりに目がいきますが、中々上手くいかないんですね。

 昔の人は、季節に執り行う行事を、重なることの無いように、大人も子どもも一緒にできるよう、工夫をしていた。或いは、ここまではいいけど、ここから先は大人になって。というけじめを設けていた。子ども社会にも、それに適った掟があり、年長者から順に教えてもらったものだ。心が浮き立つような、それでいて待つことの楽しみがあった。胸のときめきがあった。

 苦労や辛いことや、哀しいことには決して向き合わない、現在の世の中だが、殺伐とした淋しい想いが増える。あたら命を粗末にしないで。生まれてくる命も、消えていく命も、比べるべく等しい。怪我の功名。と言うが、死んでしまっては、再生不能。枇杷葉にも、エネルギーは無限大ではない。スーパーマンにも苦手な物はあるでしょう。

 一昨日の名残雪が、枇杷葉にしている寒冷紗にあって、溶けないでくっついていた。野鳥が出入りするため、継ぎ目が広がっている。脚立に上がって直した。2・3箇所繋ぎ合わす。何しろ、ヒヨドリが侵入するのだ。ぎゃあ、ぎゃあとけたたましい。あちこちにぶつかって、逃げ惑っている。鴉は、断トツお利口である。シートン動物記の『銀の星』を思い出す。

 蜜柑の安いのを買って、半分に切り、庭のあちこちに置いてやった。何で林檎は食べないの?キウィを甘くするのに使ったのだったからか?しかし林檎は消えていた。これは、鴉かもしれない。或いは、狸ちょんかな?猪ではなさそう。鹿かも??我が家の庭には、食べ物があるために、山から出てくるのです。寝静まった時刻なので、うろついていても不信はない。

 日中、暖かいと薄着をしていたら寒くなった。いかん!枇杷酒を飲んでおこう。電気屋さんがアンテナを替えたり、映りをよくしてくれた。さすがプロです。大変よくなりました。お礼に枇杷葉茶と花芽茶と、枇杷酒をあげた。とても喜んでくれ、無農薬の珈琲も、咽喉越しがいいと好評でした。Aさんから代金は預かっているのですが、振込みに行けないでいます。

 サンタさん、明日には行けると思います。午後からの仕事なので、その心算にはしています。珈琲が値上がりすると、毎日は飲めなくなるなぁ。安いので我慢するよりは、飲まないでいる方がいい。無農薬の珈琲の風味は、まったく違うのです。飲んだ方は、その美味しさに驚かれます。いろんな意味で、買ってくれるとうれしいなぁ。

コメント (2)
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