今晩は満月。薮入りでもある。昔の人は、休むという事はしないで、日々仕事に励んでいたし、それが当たり前のことであった。旧暦では、日曜も祭日もない。一週間ができたのは、明治になってからか?四季折々の行事があるのも、仕事をしての骨休めも兼ね、そこそこゆとりのある生活であった。
同時に、仕事に励んでいれば、必ず食べていけた。子どもだって同格。子守やら水汲みやら、年齢にあったことをやっていた。無論、してはいけないこともあり、何故なのかを学んでいただろう。自然の中で、工夫し、どうすればいいのかを知っていったことだろう。山には神が宿り、大地には恵みをもたらせてくれた。
朝の陽を拝み、宇宙の星を観あげ、風の声を聴き、花木を愛でて、生きていることを感謝して暮していた。それだけに、理不尽な世の中でもあった。士農工商、という差別もあった。現代の暮らしには、神を崇め恐れる気持ちがない。人間が偉い、という思い上がりが、災害を呼び寄せる。国の負債は増えるばかり。
宮部みゆき氏の『蒲生邸事件』を読んで、心の中で叫んでいる私を見た。誰かのために立てるなら、何処に居たって、いつの時代に居ても何等問題はない。けれども、自分を必要とされ、生きることへの望みがなければ、虚しい。とも、思うよ。枇杷葉による手当てをしていて、助かる命であったかも。と、自分の無力さを思い知る。
Aさん家の、姫とブラック・ソックスが亡くなった。風邪から肺炎になったのか、日増しに弱っていく体に、言葉もなかった。一縷の望みに、エネルギーを贈ったが・・・。姫は急死。ブラックは、家族に看取られて逝った。とても安らかな死だったそうだ。命の尊さは、人間だけが偉いのではない。ということを目の当たりにした。
新しい命になって、きっと生まれてくるだろう。何処からともなく、やってきたブラックである。子どもを産んで居ついた。大事にしてもらい、医者にも連れて行ってもらった。猫ではあったが、命を持った者として扱われ、大切にされていた。自分たちのことより、そっちが先で、驚かされていた。淋しくなった。
リエさんの誕生日に、青い薔薇を贈ろうとしたんだが、やんわり断られた。生花は高いし、もったいないというのだが、この花の持つ魔力に惹かれる。物語の中での青い薔薇は、もっと青い色だ。透き通ったような色であり、深い闇を溶かしたような青色は、私の心を蕩けさす。何だか『ナルニア国物語』のよう。
寒冷紗を架けた枇杷葉。野鳥がこの中にまで入ってくる。花芽を食べています。